熱海
帰りの電車に乗ろうとした時出掛けに旅行中の兄から送られて来た地ビールを冷蔵庫に突っ込んだのを思い出し三蔵に電話した。
突然の誘いに『これからか?』と聞き返されはしたけれど三蔵は承諾してくれて駅の改札で待ち合わせてアパート迄歩いた。今にも降り出しそうな重い空の下三蔵の呼吸が苦しげだったので無理矢理呼び出した事に少し罪悪感を憶えた。
途中の自販機で煙草を買っていると三蔵は隣の飲み屋が店前で売っている焼鳥を買おうとしていた。 この店は時々こうして店の前で鳥を焼いているので気にはなっていたが一度も買った事は無かった。
「20本くれ」
「そんなに食わないでショ」
一緒に飲んだ時は専ら飲むばかりでツマミ程度しか口にしてなかったからあんたそんなに食う人じゃないでしょ。 それとも余程焼鳥が好きなのか。
まだ20本も焼けていないというオヤジの言葉にじゃあ半分、と言い直す。ヨシ。
土産のビールはピルスナー、アルト、ヴァイツエンが二本ずつ。
酒屋で貰ったオマケのコップには今は製造されてない銘柄の名前が印刷されていて間が抜けていた為三蔵に渡すのは躊躇われたが他に無いので仕方無く照れ隠しに二言三言適当な事を言ってコップを手渡してからそれぞれ好きな種類を選んで注ぎ小さく乾杯する。
「北海道か」
ビールのラベルを見ながら三蔵が呟く。
「今の時期良いらしいぜ。向こう梅雨無いって言うじゃん」
「そうだな」
「ススキノ。ラベンダー。海鮮丼。ハイセイコー!」
「何だそりゃ」
苦笑しながら三蔵が新しい瓶に手を伸ばす。自分で買った割に三蔵はあまり焼鳥に手を伸ばしていない。焼鳥好物説は却下だなこりゃ。 箸で器用に串から葱と肉を外しては葱だけ拾って食べるという行儀が良いんだか悪いんだか分からないような事をしている。 何をやってるんだか。
「ネギばっか食うなよ」
「肉はお前にやる」
と言うと聞こえは良いが食い残しじゃねえか。
「ピーナツばっか食うなよ。これじゃ柿ピーじゃなく柿の種じゃん」
「うるせー」
良い性格してるし。
「負けるか。俺にもピーナツ食わせろ」
がっつ。
袋に手を突っ込んで思い切り掴み取る。
「やったー」
「アホか」
柿ピーに興味を無くしたのか横を向く三蔵の手には再びビール瓶とコップ。
「ああっそれは俺の分のビールだって!」
「早い者勝ちだ」
三蔵が注ぎ終わるのを待って半分程中身の残ったビール瓶を素早く奪い取る。
程なく地ビールは終わったが飲み足りない気分だったので冷えていない買い置きの缶ビールを引っ張り出して来て雨の降り出す前のむっとしたような湿度の籠もった部屋の中言葉も交わさず温いビールを飲んだ。
ふと気が付けば三蔵は皿の上に捨て置かれた焼き鳥の串を親の敵でも見るような顔をして見ている。 お互い酔いが顔に出ない方だから分からないが酔っているのかも知れない。
最後のビールを飲み終わり名残惜しく空き缶を握り潰した。 掌の中のアルミ缶が高い音を立てるのと同時に雨が地面に叩き付けられる音がした。
「降ってきたな」
ざあと、一秒毎に勢いを増す雨音に窓を開けるとふらりと三蔵が窓辺に立ち上がった。
闇の中何が見えるのか目を凝らすように挑むような紫の瞳が外を見つめ続けている。
凛とした背中を見つめていると呼気が早くなるのが分かった。俺も酔っているのか。
湿気を孕んだ風が部屋の中に吹き込んで来て皮膚を浸食する。
空気中に無数に存在する微小の水滴がじっとりまとわりつく。 窓を開けても開けなくてもこの湿度からは逃れられない。
何処かへ。
逃げ出してしまわなければ。
「なあ。今度二人でどっか行かねえ?」
背中に語り掛けると何処へだ。と言いたそうな顔で三蔵が振り返った。
「温泉とか」
「この暑いのに温泉か」
「夏の温泉も良いんじゃねえ?安く泊まれるし。ヨイフロヨイフロ」
「・・・・・・」
「知らねえ?ヨンイチニイロク・ヨンイチニイロクっ!」
北海道じゃなくても良い。
何処かへ。
逃げなければ。
「・・・アホか」
呆れたように言い捨てると三蔵が窓から離れた。