グランドキャニオン
赤い夢を見た。見慣れた夢だ。赤い色の中圧倒的な憎悪を感じる。憎しみを揺り籠代わりにし懇々と眠り続ける。 意識はあるものの夢の中の自分はまだ物体としては存在していない。自分を包む赤い色の中に融け込んでいる意識は自分のものではない。
アカの、中。腹の中の自分を憎む声が響く。
ああ、これは子宮の中なのかと夢の中で悟る。
産まれて来なければ良いのに。
死んでしまえば良いのに。
お前の誕生など望んでいないのに。
ゆらゆらと生温い体液の中で眠り続ける自分に届く子守歌。
自分が父の実の子供でない事は知っていた。だから驚きはしなかった。
棄てられていたのだと知って納得した。夢の意味を知った。
自分を拾ってくれた養父がいなくなってしまえば俺に生きていても良いと言ってくれる者は居なくなった。
それを悟ったのは葬儀の翌日だった。
いつもの夢を見て覚醒した。ぼんやりと布団の上に寝転がった侭天井の木目を眺める。 合板ではない天井板の自然に出来た不規則な模様に向かい伸びをすると薄暗い部屋の中自分の細くて白い腕が視界に映った。 木切れのようにも見えるそれを不思議な思いで片手で引き寄せてみる。 掴んだ腕の表面にもう片方の掌の体温は伝わって来てはいるが自分の腕とは思えない。自分が生きているという感覚が日々稀薄になって行く。 人体模型の人形のようにぼきりとあり得ない角度へと曲げる事も出来てしまうのではないかとも思うがわざわざ力を込めるのが面倒なのでそんな事はしない。
寝転がっているのにも飽きたので布団から這い出して寝る前枕元に用意しておいた服に腕を通す。 階段を降り廊下を歩き襖を開ける。八畳間の奥に真新しい仏壇。
「お早うございます」
線香を立てて遺影に挨拶し手を合わせる。目を開けて自分を見下ろす遺影を眺めてから立ち上がり台所へ向かう。 陰膳をこさえなければならないと思いながらブゥンと鈍い電子音を立てる冷蔵庫の扉を開けると明かりが灯り中に収納した食材が人工の灯りの中に浮かび上がる。 数日前自分が買って中に仕舞った筈の食材は、だがとても食べるモノには見えなかった。 否、確かに食べるモノであると頭は認識しているがそれが自分が口にするものだとは思えなかった。
自分では無い、誰か。生きている人間が食べるモノだから自分には不要なものだと。 そう思う自分の思考が毀れているとは思わないがそれは危険な考えなのだと本能的な処で辛うじて忌避する。 冷蔵庫の中の物体が只其処に在るだけの塊だと思い自らの体内に取り入れる事を無意識に拒否する感覚も、 そう感じる自分を押し留めようとする意識もどちらも自分の感情だとは思うには余りにも朧気だった。 自分の身体に、感覚に密接にリンクしている事象の筈なのにどちらかを選ぼうとしてもどちらも同じ程迂遠に、他人事のようにしか感じられない。 どちらでも良いのだと結論付けドアポケットに収められた牛乳を取り出しコップに注ぐ。 口に含んでみれば冷えている筈のその白い液体は生き物の体温を伴って感じられ嚥下する事は出来なかった。 喉を通ってしまった生きた動物の体から搾り取られた甘い液体を何とか吐き出そうと急ぎ水道水を飲み込もうとすると嘔吐感が込み上げ胃液が食道から逆流して来た。 四つ足の動物の、母から仔に与える為に体内から溢れて出て来る液体を、自分の躰が拒絶しているのだろうと思う。 ここ数日ロクに食事をしていなかった為シンクに吐き出された白いものの混じった胃液には固形物は含まれていなかった。 そう言えば養父の容態が急変して以来台所に立った記憶が無い。数度咳き込み嘔吐感が去るのを待つ。 大して飲み込んでもいなかったのに喉の奥にねっとりと乳糖の甘さが染み込んだようにこびりついている。 流すつもりもなかった涙が勝手にじわりと零れて来る事が鬱陶しい。 シンクの縁に手をつき嘔吐感が戻って来ない事を確認しながら上体をゆっくり起こす。甘い味の残る口内を何度も水で漱いだ。
ゆるゆると自分を包み込む殺意に怯んだり恐怖を憶えた事は無かったが。 分かったつもりになっていたあの夢の本当の意味を、今迄分かってはいなかったのだと知った。
眩暈のような浮遊感を伴い夢の中でしか聞いた事の無かった声が耳に蘇る。
死んでしまいなさい
誰にも、生まれる事も生きる事も望まれてはいなかった。義父がいなければ自分など
「それがどうした」
脳裏に響く声を断ち切るように声に出してみる。 誰に聞かせるでも無く。声を発しても返事の返って来る事の無くなった家の中顔を上げる。 目尻に浮いた侭だった眼から出た水を人差し指の甲で拭い取ると朝の光が玄関のガラス戸を通り抜け柔らかく家の中に差し込んで来ている事が分かった。 台所を出て光の中に足を踏み出した。 玄関の鍵を開け郵便受けに突っ込まれた新聞を取り出し室内に投げ入れてから室内の観葉植物に水をやる。 雨が上がったばかりの庭にはまだ水を撒く必要が無い。
養父が入院して以来世話をしていた観葉植物は自分が手を掛けるようになってから見る間に生気を失って行った。 庭木は放っておいても土や自然の雨やらで何とか生き永らえるものらしいが小さな植木鉢から生えるそれはもう永くは保ちそうもない。 植物を育てる事の上手だった養父と違い自分は不器用なのだろう。水が足りないのかくれ過ぎなのかも判らない。 パキラとかベンジャミンとか植木には名前があった筈だがそれすら記憶していない。 生前の養父に尋ねておけば喜んで教えてくれたろうが自分は植物を育てるのに向いていないと言う以前に興味が無かった。 関心の無い事に興味を向けるよう強制する事の無い人だった。 最初に入院した時から一度も植物の世話を頼むとは言われなかったし、自分もどう世話をしたら良いか訊ねなかった。 口に出してしまえば養父の病状が思わしくない事を認めてしまう気がしたからだ。 そして今自分はこうして狭い植木鉢の中に窮屈に根を張り、それでも大きく成長した健気な生命を無惨に枯らしそうになっている。 つまらない、くだらない意地だがそれでも俺には必要だった。 だが目の前で養父が手を掛けた植物が枯れて行くのを見るのも楽しいものではなかった。
玄関先に投げ捨てておいた新聞を拾い上げ斜めに目を通す。TVは喧しいので点けない。 洗濯物を干し簡単に掃除を終えてしまうとする事が無くなった。 入退院を繰り返しながら養父は少しづつ身辺を片付けていたので今更自分が処分に困るような物はあまり置いてない。
最後迄養父が手を付けず残しておいたのは書架だけだった。 煤けたような黒い木材を組み合わせて造ってある書架。自然に古くなったものなのか古木を利用したものなのかは分からない。 畳敷きの部屋が多い家の中、板張りなのは台所と洗面所と客間と、そして書架の置いてあるこの部屋だけだ。 元々書架を入れる為にこの部屋を作ったのかたまたま書架を置くのに具合の良い部屋だったという事なのかは知らない。 天井に届く高さの書架に隙間無く然しきちんと整頓され仕舞われている読み込まれ古くなった大量の書籍を残しておけば良いのか、 処分するとしたら棄てれば良いのかそれとも古書店にでも連絡すれば買値が付くのか分からない。 買った当初は新刊だった筈のこの書籍達が何時から古書特有の冷えた黴のような臭いを発するようになったのか知らない。 何も知らない。何も分からない。家の事も家具の事も。元から建っていたものを買い取ったのか新築だったのか、 一人住まいで何故こんな大きい家に住んでいたのか、家具を揃える時誰かと選んだのか。 知る事の叶わない過去に囲まれ書架に収まった書籍の背表紙に指を滑らす。
生前から好きな時に読んで良いと許可されてはいたがあまり読んだ事の無かったそれをここ数日は適当に抜き出し毎日少しづつ読んでみている。 活字の細かい難しい本が多い。世間では既に絶版となっているであろう箱に入った、 パラフィン紙の掛けられた本もただの収集品ではない証拠に人間の手で頁を開いた形跡が残っている。 書き込み等がある訳ではないが一度も開かれていない本とそうでない本は頁の開き方で分かる。
活字本の他には写真集が複数並べられている。 箱に入った書籍は漢字の読み方さえ判らないような東洋文化に関するものが多いが写真集は地域にはこだわりが無いようだ。 冷えた床板の上を裸足で歩き背伸びして植物図鑑の隣の数冊を抜き取る。 仮漆引きのテーブルに載せて開いてみたのはアメリカのごつごつした岩肌の渓谷の写真集だった。 人物の一人も映っていない無機質な広大な土地は時には赤く時には空の色を映し半ば青く染まっている。 眺めていると寒ささえ感じるような畏れを憶える光景。 かと思えばイタリアの街並みの中笑顔を浮かべる人達で一杯の写真集もある。 ひらひらとした中世風の衣装と飾り立てられた白い仮面を身に付けた人々が街に溢れている。こちらはカーニヴァルだ。 本の傾向に纏まりが無い事が却って養父らしい。どんな本を読んでいるかはとても個人的な事でその人を知る手っ取り早い手段だ。 本に囲まれていると養父が側にいるようで安心する。本を出しっ放しにした侭ソファで少し眠った。
赤い夢は見なかった。