ベルリンの壁
その日は天気が良かったので買った昼飯を手にパドックにやって来た。 昼時の人のいないパドックは階段が椅子代わりになって腰を落ち着けるのに調度良い。


「SSって言ったら何を思い出す?」
ずるずると「阿太利」のうどんを啜りながら悟浄が口を開く。 陽が差していて温かいとは言うものの真冬のこの時期、 三蔵はオフホワイトのロングコートを着ている為うどん汁が撥ねないよう少し離れて座る。 階段に直に腰を下ろしているのに今更かも知れないが自分で汚すのと他人に汚されるのでは訳が違うだろう。
「・・・サイレンススズカ」
食い終わったパンの袋を丸めながら三蔵が答えた。 何故今更そんな事を悟浄が尋ねる気になったのかは分からないがどうせ大した意味は無いだろう。
「やだなさんちゃんとぼけちゃってえ。SSって言ったらSS様っしょ」
「セイウンスカイだってSSだ」
「SSと言ったらあー」
「サクラスーパーオー」
しつこい、と言いたげな表情で機械的に答える三蔵はどうやら悟浄の望む答えを口にするつもりは無いらしい。
「SSと言ったらあー・・・」
こうなったら意地だ。三蔵が飽きるのが先か、返答に詰まるのが先か。それとも悟浄が諦めるのが先か。
「センゴクシルバー、だ」
「SSと言ったら・・・」
「バカ、そっちじゃねえ。パドックだ」
言って、三蔵が顎をしゃくる方向を見ると目の前を通り過ぎる真っ白い馬が居た。



昼時のパドックはミニチュアポニーのお披露目タイムだ。 係員に連れられたミニチュアポニー二頭がパドックを周回しながら愛想を振りまいている。 成長しても犬程度の大きさにしかならない脚の短いそのポニーは二頭共牡馬であるにも関わらずとても愛くるしい。 3月3日やクリスマスなど、行事に合わせて可愛らしくリボンや花で飾り立てられたりもする。 パドックを歩けばフラッシュの嵐、場内を歩けば女子供が寄ってたかって撫で回すと言う人気者だ。
そしてまた昼時は午後から仕事に入る誘導馬の練習タイムでもある。 その練習の為に現れたのがセンゴクシルバーだった。 「シルバー」の名の通り現役の頃より白かった馬体はますます白さを増し、今では完全に「白馬」の様相を呈している。
練習と言っても大抵はパドックを一周するとさっさと地下馬道へと引っ込んでしまうものなのだがその日のセンゴクは周回の後、 パドック内の青草を食んでいるミニチュアポニーに頚を伸ばし鼻面を寄せた。
それなりに立派な成績を残し重賞勝ちもあるセンゴクシルバーが引退後種牡馬になれなかったのはその血統のマイナーさ故だ。 種牡馬になれなかった馬がどうなるかと言うと乗馬クラブに売却される事が多いのだが、 転居先の乗馬クラブに長く居続ける馬は少ない。
引退した馬を追いかけてはいけない。
それは競馬界に於ける不文律だった。
ファンが多かった為かその馬体の白さを買われてか、 センゴクシルバーは引退後は此処中山競馬場に誘導馬デビューを約されて引き取られたのだったが、 引退したばかりの競争馬は気性が荒い事が多い。 誰よりも速く走り一番にゴールを駆け抜ける事を要求された過酷な現役時代を終えて、 嘗て自分の戦場であったターフへと、気合いを出さずチャカつかず、 これから戦いに出る興奮しきった後輩達を時には落ち着かせてやりながら、 美しく、華麗に歩かなければならない。
浴びせかけられるカメラのフラッシュに、大レースともなれば観客の興奮した大歓声が轟くターフに。 それでも臆せず落ち着いて然し堂々と歩く事を要求される。
誘導の仕事はどの馬にでも出来ると言う生優しいものでは、決してないのだ。


「知ってるか?センゴクは一度誘導馬デビューしたがチャカつくんで乗馬に戻されたんだ」
「・・・へえ」
それは誘導馬失格の烙印を押されたと言う事。 誘導の仕事をこなさなくとも競技用の乗馬として生きて行く道はあるし、 誘導馬でないからと言って厩舎での待遇に差がある訳では無いだろうが。
「偉かったね」
ぼそりと小さい声で悟浄が呟いた。
もうターフを走る事は自分の仕事では無いのだと、レースに出るのは自分では無く自分の後ろを歩く騎手を乗せた馬達なのだと、 だから自分はもうパドックに出ても気合いを滲ませる必要は無いのだとどう納得したのだろう。
訓練を重ね再びセンゴクシルバーは誘導の仕事に戻って来て今ではGIの日にさえ誘導をこなす程になった。
優しい瞳をして自分より幾廻りも小さいその馬達に興味深げに顔を寄せるセンゴクに、 だが然し青草を食べるのに夢中なポニー達は顔を上げもしなかった。
気は済んだだろうとばかりに手綱を引かれセンゴクシルバーは顔を上げ地下馬道へと消えて行った。
「そう言えばセンゴクって今何歳だっけ?」
かぽかぽと、センゴクシルバーと共に消えて行く蹄の音を耳にしながら残りのうどん汁を飲み干し悟浄が問い掛ける。
「確かマチカネタンホイザと同期じゃなかったか?」
「何でそこでタンホイザって言うの。ミホノブルボンの同期ね」
言いながら悟浄が煙草を取り出した。
「ライスシャワーの同期だ」
「あんたが先にタンホイザの同期って言ったんじゃん・・・まだ若いよな?」
「もうトシだ」
「えーと・・・何年生まれだ?」
「1989年」
「そっか・・・1989年って何があったっけ?」
「ベルリンの壁崩壊」
「嘘ッ!?もうそんなに経つ?トシも取る訳だ」
驚いたように自分の膝に突っ伏し悟浄は煙草を挟んだ指で髪を掻き上げた。
「じじくせえ事言うんじゃねえよ」
「いや、だってさ・・・あー・・・俺ももうトシかな」
「・・・いい加減にしろよ」
年下の悟浄にトシだトシだと連発されて三蔵の機嫌が段々と低下してくる。
「だってセンゴクの同期は思い出せ無いしあんな大ニュースの事も忘れてたなんてさ・・・」
「そんなもん気合いで何とかしろ」
隣で煙を吐き出しながら三蔵が言う。
「あ。なんかガッツあるその台詞若いね」
「フン」
面白くもなさそうに鼻を鳴らす三蔵の横顔を膝から顔を上げ目を細めて眺めると三蔵が立ち上がった。 次のレースに出走する馬達がパドックに出て来たのだ。
「次のレースは何だっけ?」
言いながら新聞を広げてみるとまだ若駒の3歳馬のレースだった。三蔵は既に赤ペン片手に馬体重をチェックしている。
成程気合いね、と思う。
ここらででかいトコ当てようか?
「おしっ」
負けじとばかり気合いを入れて悟浄は立ち上がった。

肩越しの続き。

2003.2.1中山競馬場昼休みのパドックにて。写真はその時のセンゴクシルバーwithアブゥとブリー。
誘導馬ラブ。昼休みは誘導馬の昼練見る為にパドックに居ます。

パチンコに続く。

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