風呂から上がり浴衣を身に付けながら明日はどうしようかと考える。 そろそろ面会に来る奴らも少なくなって来た事だしこの街を発っても良い頃合いかも知れない。
長安に戻ろうか、そう考えた時不愉快な赤毛河童のツラを思い出してしまう。
風呂。そう風呂だ。
新しく借りた家を見に来いと言われ気紛れを起こして見に行った時に頼みもしないのに風呂場迄案内された。
「ちょっと寺から遠いけどさ、この家バスタブでかかったから。三蔵風呂広い方が好きだろ?」
何ぬかしてやがると思ったが実際は
「・・・まあな」
そんな事を言った気がする。そんな事言われたら一緒に暮らそうと言われていると、ただの同居という意味ではないと勘違いするじゃねえか。 するに決まってるあのクソ河童。
つまらん事を思い出した所為で折角の風呂上がりの良い気分が台無しになった。

長安に戻るのは止めだ。
慶雲院に着院してからというもの殆ど無駄金を使った事が無かったのでそれなりに蓄えはあった。 あの大食らいのバカ猿を拾いさえしなければ恐らく現在の残高よりはもっと多い金額が残っていただろうが他でもない自分で拾ってしまったのだからそれ位は仕方の無い事だ。 ともかく急いで長安に戻る必要もない事だしこの侭もう暫く出て歩くのも良いかも知れない。
この近辺で仏教寺院の多そうな街へ。
一度部屋に戻ってから宿の者に地図でも借りて来るかと風呂場を後にした。





部屋のドアノブに手を掛けた時鍵が掛かっていない事に気が付いた。 葬儀の為に持って来た道具一式は付き添いの坊主に持たせて先に帰してしまっていたので今は身一つで滞在していた。 経文と銃は勿論風呂に行く際も肌身離さず持っていたので室内に盗むだけの物は無い筈だが・・・。
ドア付近で身を顰めて俺を待ち伏せている気配も無い。 と言う事は捜す場所さえ少ないこんな宿の部屋の中を未だ物色している手際の悪いコソ泥だろうか。
片手で銃を構えて勢い良くドアを開く。が、予想外のものを眼にしてしまいその侭の姿勢で固まった。
「ヨ。お邪魔してまあす」
人のベッドの上に勝手に腰を降ろして片手に缶ビール、残る片手でひらと手を振る・・・。
「な、・・・」
言葉が上手く出て来ない。
「ここ大浴場あるんだろ?どうだった?」
イヤになる程見慣れた、長安にいる筈の河童が其処に居た。ビールだけでなく、上着も脱いで完全に寛いでいる。
「何でてめえがここにいる」
銃口を向けられていると言うのに少しも慌てた処のない河童の態度に、漸く銃を下げて袂に仕舞った。
「だって三蔵一人で出掛けちゃうんだもん」
「仕事だ」
「それは八戒から聞いたけど、もう終わったんでしょ、葬式」
「まだ用があるんだよ」
「まだ暫く滞在する?」
「てめえに答える義理はねえ」
話しているうちに忘れたと思っていた怒りがふつふつと甦って来る。
「そりゃないっしょ」
「無いと言ったら無い」
「冷てえのな」
くく、と肩を揺らして笑うその仕草が人を小馬鹿にしているようで非常にムカツク。 夜の盛り場で一人で座ってれば女共が莫迦みてえに群がって来る、そしてそんな事に慣れ切っている遊び慣れた仕草。 たった一言二言、甘い言葉を掛けてやれば俺のように勝手に勘違いした奴らが幾らでも寄って来る事を知っていてわざとそんな余裕ぶった態度を取ってみせる男。
「出てけ。ここは俺の部屋だ」
「いいじゃん」
「出て行けと言っている」
「なあ三蔵、何怒ってんの?」
重ねて言うときょとんとした表情で尋ねられた。
人の留守に勝手に部屋に上がり込んでおいて怒るなとでも言いたいのかてめえの図々しさは筋金入りだ。
「馴れ馴れしく呼ぶな」
「ちょっとちょっと・・・」
ふざけた態度では俺を懐柔出来ないと分かって困ったように眉根を寄せてみて漸くベッドから降りて俺の立っている方へと歩いて来る。
「もう一度聞く。何でこんな処にいる」
「あー・・・仕事はさぼった訳じゃねえぜ?ちゃんと休み貰って来てるって」
「誰がてめえの仕事の心配をしている」
悟浄が半身廊下に身を乗り出した。 その侭出て行くのかと思ったが先程俺がドアを開ける際に床に置いた法衣を拾い上げて室内に放り込んでからドアを閉めただけだった。
「ドア閉めてんじゃねえよ。出て行け」
「イ・ヤ」
にやけたツラでそう言う悟浄の顔が近付いて来たと思ったらいきなり口付けされた。 咄嗟にぶん殴ろうとした腕は抑え込まれた。まず右腕、次に左腕と順序良く。
「う、ううっ」
ドアに押し付けられてごちと頭が固い木にぶつかり怒りが沸き起こる。
この野郎。コロス。
こんな風にキス如きで誤魔化されて丸めこまれたくなかった。 酒場をウロついている女にするのと同じような手管で俺も同じように扱えると思われているのだと思ったら何が何でも悟浄の身体を押し退けたくなった。
膝を折って蹴り上げようとしたら動作を察知したらしい悟浄が慌てて身を離した。
「ナニすんのっ!」
「何すんだは俺の台詞だ!俺の質問に答えろっ!何しに来たんだ」
やっと解放された口元を手の甲で乱暴にぬぐい去りながら怒鳴りつける。
「何しに・・・ってだって三蔵ずっと帰って来ないし」
「・・・俺がいないと部屋を片付けるヤツがいなくて不便だからか?」
唇を尖らせて不満そうにタラタラ文句を述べる姿を見て、口にした。
「はあ?」
「ゴミ出しするヤツがいなくて不便か?洗濯するヤツがいなくて困ったからか?」
言いながら口がイヤな形に歪んでいるのが分かった。眉間に力が入っている。 恐らく俺は今、自分で鏡を見る事もイヤな位酷いツラをしている。
「何言ってんの」
「あんまりにも家が汚くなり過ぎて我慢出来なくなって出て来たのか?俺を連れ帰って掃除させる為に?」
八戒だったら同居は同居だと割り切って文句一つ言わず家中を綺麗に磨き上げる位の事は当たり前にしていただろう。 だが俺は八戒じゃない。
俺の気持ちを利用して八戒と同じ役割を期待されるのは我慢出来なかった。
「三蔵・・・?」
伸ばされた腕を勢い良く払いのける。
「触んなっ!こんな事するな!ただの都合の良い同居人が欲しいだけなら他のヤツを見付けろ!俺の事を、」
好きだと思っている振りなんかすんな、と言う言葉はあまりにみっともないので呑み込んだ。
唇を噛んで黙り込むと暫しの沈黙の後、悟浄が口を開いた。
「・・・・・・えーとさ。話が見えないんだけど、三蔵は、俺が家政婦さんでも雇うみたいなつもりで三蔵と一緒に住んでるんだと思ってる?」
「その通りだろうが」
「何でそんな風に思ったの?」
少し困ったように眉を下げて見せる表情。そんなワケないだろ、とでも言いたげな。大した演技だ。 こうやって今迄散々女を騙くらかして来た訳だ。
「何でじゃねえだろ。わざわざ人と顔合わさないで済む時間の仕事見付けて来やがって」
ははあ、小さく感嘆した後悟浄は言葉を続けた。
「でも三蔵だってあんま普通の時間の仕事じゃないじゃん。現にこうして俺に一言も言わず何日も留守になんかしちゃってさ」
「俺の仕事が朝早いのは前からだろうが。大体てめえ、毎日毎日香水の匂いプンプンさせた上口紅なんかべったり付けて帰って来やがって。俺が、」
続く言葉は再び呑み込む。
「俺が?何?続き言ってよ。さっきも途中で黙っちゃったでしょ」
そう言って悟浄は肩を少し持ち上げてから胸の前で腕を組んだ。 こいつ、俺の話をマトモに聞く気がねえな。
「もういい」
所詮俺がバカだったと言う事だ。床に落ちた侭の法衣を拾い上げる。
「世間知らずの坊主を引っかけるのは楽しかったか?俺がてめえに振り回されてるのを見るのは面白かったか?」
もう随分前から、何時かこいつは俺との関係は気の迷いだったと言い出すのだろうと思っていた。 だからその日が来る事をずっと待っていた。
驚いたのはもうずっと長い間予想していた事なのにその時が来てみたら意外と動揺している自分自身に対してだ。 法衣を探って煙草を取り出す。
「ちょっと待てって。振り回されてんのは俺の方だろうが」
「ふざけんな」
答えながら思わずフィルタを奥歯でぐ、と噛み潰してしまう。 部屋の中程迄歩いて行き手にした侭だった法衣を椅子の背に掛けてベッドに腰を降ろす。
「あんた肝心の事は一つも言ってくれた事はねえし、あんたの事俺がどんだけ大事に思ってるかなんて聞いてくれる気なさそうだし」
俺に続いて部屋の中程迄歩を進めた河童は立った侭言葉を発する。
「何の脈絡もなく調子の良いセリフぬかしてんじゃねえよ」
これだけ言ってるのにまだそんな言葉で騙せる程俺は安っぽい人間だと思われているのか。
「だから言ってるじゃん。あんたが何日も家に居ないから追っかけて来たんだって」
「そうやって思ってもいない言葉で俺が振り回されるのを見んのは楽しいかと言ったんだ。 ままごとみてえな暮らしに浮かれてる俺はさぞかし脳味噌の沸いためでたい野郎に見えただろう?俺が、毎日どんな気持ちで・・・っ!」
言うつもりの無かった事まで口にしてしまい慌てて口を噤んで横を向く。 こんな安酒場で繰り広げられる痴話喧嘩のような陳腐な台詞を吐くなんて無様過ぎる。
「三蔵・・・」
覆い被さってくる影にはっと顔を上げれば悟浄が俺の口の端から煙草を取り上げようとしていた。
「な・・・」
「・・・っ」
煙草の先が悟浄の指を掠め悟浄が一瞬顔を歪めるが手は止まる事無く煙草を指に挟んだ。 そして唇を悟浄のそれで絡め取られた。






三蔵法師の続き。

手がちびっとしか出て来てませんおかしいこんな筈では。

に続く。



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