三蔵法師




「おはよー・・・あれ?三蔵?」
八戒の家に着いて暫くの後起き出して来た悟空が俺に気が付いた。
「あれ・・・どうして?」
「俺がここに来たら悪いか」
「別にそう言う訳じゃないけど・・・」
「お早うございます、悟空。三蔵は今日仕事が休みだそうですよ」
「そうなんだ」
しきりと不思議そうな顔をしていた悟空が漸く嬉しそうな表情をしたので少し安心した。
悟浄とほぼ時期を同じくして長安に越して来た八戒の処で一緒に住むと言って、寺を出たのは悟空の方が先だった。 俺は悟浄の処に転がり込むつもりだからお前も行き先を探しておけと、そんな風に言った事は一度も無かった。 寧ろ悟空が居なくなった事で背中が軽くなったと言うか、吹っ切れて寺を出て行く決心が付いたのだ。
その話を聞かされたのは酷く唐突だった。そんなに驚いたのは久し振りだと思う程内心では驚いていた。 思っている事が表に出にくいタチなので口にしては
「・・・そうか」
とだけしか言わなかったが。
「もう決めたから」
お前みたいな大食らいザルが小遣い程度の稼ぎの仕事を見付けた処で(仕事が見付かったとして、だ) 喰っていけるのかとかそもそもお前に働く事が出来るのかとか、決めたって何をだとか色々な言葉が脳裏を過ぎったが結局制止の言葉は一言も口に出す事は無かった。
悟空の眼が真剣だったからだ。
何時までもマヌケ面のアホ猿だと思っていたのに俺の事を追い抜くんじゃねえよ。
「三蔵の事、嫌いになったとかそーゆーんじゃねえからッ!」
短く舌打ちすると、両手を拳の形に握り締めてそう力説された。
「当たり前だ、ばーか」
わしわしと犬の頭でも撫でるかのように乱暴に頭を撫で回してやったらそれこそ犬のような顔をして悟空は笑った。
それが大体一月前の事だ。


「悟浄は?」
「寝てる」
威勢良くメシをかっこむ悟空の問いに先程八戒に答えたのと同じ答えを返しながら煙草を袂から取り出したら八戒に「この家は灰皿がありませんから」 と笑顔で咎められた。
「悟浄の働いてる店って何時までだっけ?」
「8時から4時」
煙草を渋々仕舞い込みながら答える。
「宵っぱりの悟浄らしいですねえ」
「・・・お前と一緒に住んでた時もこんなもんか」
「そうですよ。夜になると出掛けて毎日朝帰りです」
でも、と八戒は続ける。
「お客だった頃と違って今は店の片付けなんかもしてから帰って来るからもっと遅いんじゃないんですか」
「まあな」
こんなものはただの茶飲み話だ。タダの茶飲み話で片付いてしまう、 その程度の事にぴりぴりしている自分の方がおかしいのかと、話しているとそんな気がしてきてしまう。
矢張り悟浄にとってはその程度の事だったのだ。茶飲み話で片付く程度の気楽な同居。
一度沸き上がった怒りが静まってしまえば再度同じ事で怒る気にもならず、何となく脱力してしまった。
もう決めたのだと俺に宣言したのと同じように、きっとこいつらは言葉に出して「良かったらウチに来ませんか」と誘い「そうする」と確かめ合ったのだ。 翻って見れば自分と悟浄とは一度も好きだの何だの睦言めいた言葉を交わした事も無ければ一緒に暮らすと言う約束をした訳でも無く、 半ば押し掛けるように始めた同居生活だったが。 そんな言葉など無くとも自分の見ているものが真実だと、目の前だけ見ていれば良いのだと信じて来たのだが実際目の前に突き付けられたのは連日悟浄のシャツに残された口紅と香水の残り香だった。
・・・自分で洗濯ぐらいしやがれみっともねえ。
悟空と八戒の近況報告をぼんやり聞きながらそんな事を考える。
「あっ、俺もう行かなきゃ」
壁に掛かった時計を見上げて悟空が宣言しながら立ち上がった。かれこれ一ヶ月、こいつなりに頑張っているようだ。 働くのがまるっきり初めてなこいつを辛抱強く雇っている店主の堪え性にも感心するが。
「じゃあなっ、三蔵!ちゃんとメシ食えよ!」
慌ただしく支度を整えた悟空が出て行き際にそんな事を言うので思わず立ち上がって追い掛けて行きハリセンを投げ付けてやろうかと思ったがドアが閉まる方が早かった。
「だ、そうですよ。三蔵、何か食べますか?」
「・・・いらねえ」
くすくすと笑いながら尋ねる八戒に舌打ちしながらそう答えて再び椅子に腰を降ろした。





「失礼致します。こちらに三蔵様はお見えではないでしょうか?」
そんな声が玄関口から聞こえてきたのは長椅子で新聞を捲っている時の事だった。 寺を出る時に連絡先として悟浄の家と此処の住所を教えていたからなのだが、 恐らく先に河童の家を尋ねてみたがハズレで(と言うかドアを叩いても河童が起き出して来なかったに違いない)、 次にこの家を尋ねて来たと言う処だろう。 寺の坊主共から逃げる事も適わない程交友関係が狭くて悪かったな、 と誰に言われた訳でも無いのに忌々しい思いで舌打ちする。
「何の用だ」
用も無いのにわざわざ来る訳が無いとは分かっているが一応の口上としてそう口にしてから玄関へと足を向けた。









「ふう」
風呂場に他に人影は無く、思いがけず貸し切り状態となった広々とした岩風呂に浸かって気分良く眼を閉じる。
あの日八戒宅へと駆け付けて来た坊主が告げたのは、慶雲院と縁のある寺の住職が老衰で身罷ったと言う事だった。 確かその寺の住職とは2、3度顔を合わせた事があった。 長安から徒歩で丸一日は掛かる距離なのにわざわざ連絡を寄越すとは律儀な事だ、と一瞬思ったが俺に連絡を寄越したのは葬儀の報せの為だけでは無かった。
宗派によって色々としきたりは違うのだが、慶雲院と、その関係宗派に於いては遺弟が住職の座を引き継ぐ際、 僧侶としての階位の上の者が委譲を認めたと言う形を取る。その住職の地位の委譲に立ち会って欲しいと、そう言う話だった。 そんなものは別に宗派を同じくする寺院に頼まずとも近所の親しい寺に頼む事位は許されている。 新住職とは面識が無かったような気がするが、つまりこの機に大寺院である慶雲院と、或いは三蔵法師である俺と縁を深めておきたいと、 そういう事なのだろう。
「遺弟(ゆいてい)の名は何と言うんだった?」
答えられた名前には矢張り聞き覚えが無かったが俺は葬儀へ参列すると返答し八戒の家を辞し遣いの坊主と共に慶雲院へ向かった。

葬儀と言うものは到着が遅れたから日を改めてくれと、そういう訳にはいかない。 寺で必要な物を一揃い受け取って(何しろ寺なのでそういった物の準備は何時でも整っている) 荷物持ちの坊主一人を引き連れて直ぐ様くだんの寺院へ向かい出発した。
坊主の葬式と言うものは一種異様な光景だ。施主を始めとする参列者のほぼ全てが仏教関係者で埋め尽くされる。 その席で、東方随一の大寺院である慶雲院と繋がりがあるのだと、 三蔵法師をこの場に呼べるだけの力があるのだと 関連各所に見せ付けようと目論む新住職を次期住職として育て上げていたあの爺さんも見る目がねえなと呆れながらも、 先代の死を政治的に利用するこのハゲと自分とは実際大した変わりは無いのだと言う事を知っていた。
長安に在るそれなりに親交のある寺院からはめぼしい人物評は伝わって来ない。 となればゆくゆくは余所の地域に次期三蔵を捜しに行く必要があるだろう。長安の外で行われた葬儀はその時に向けた顔繋ぎの良い機会だった。
葬儀が終わった後も長安に戻らずこんな処にゆっくり逗留しているのはそう言った狙いがあった。

余り大仰に騒げばどうしようもない輩までもが勝手に立候補してきかねない、それだけの影響力を持つ「三蔵法師」と言う位を継ぐ者を、 捜しているのだとふれて回る訳にはいかなかった。 こうして寺院関係者の多く集まっている席に顔を出せば幾つかの寺と繋ぎが持てる。 一度「知り合い」になっておけば折を見て尋ねて行く事も不自然では無くなる。
とは言え人の口に戸を立てておくのは自ずと限界がある。幾ら隠してもそのうち俺が三蔵候補を捜している事は早晩知れてしまうだろう。 自分こそが「三蔵」に相応しいと、自我自尊の思い上がった奴らが選ばれなかった事を逆恨みして来る日も遠くないに違いない。
「面倒くせえな」
そう呟いて一層深く身を湯に沈める。
別に今日明日決めようと思っている訳でもないのに。
例えば、お師匠様は俺を拾わなかった場合どうやって次の三蔵を捜すつもりだったのだろう。 金山寺の誰かを三蔵に据えただろうか。
いっそ何処かで捨て子を捜して一から育てるか、お師匠様のように。そうそう都合良くガキが河に流されている訳もあるまいが。
くだらない事を考えながらここ数日の坊主達との矢継ぎ早の面会に疲労した躯を湯の中で伸ばす。
温泉のある街だったのは幸いだった。 すぐに長安に戻らなくとも一見ただの湯治の為の滞在に見えるし、何より一日の疲れをこうして風呂で癒す事が出来る。
たぷんと、波打った湯が岩に当たって呑気な音を立てるのを聞いているうちに眠くなって来た。






言葉の続き。

悟空は現在八戒と同居中ですが98とか89ではありません。しまった三蔵受になってない!53ベースと言う事で・・・。

に続く。



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