言葉




長安に移り住んだ悟浄が見付けてきたのは夜の仕事だった。
と言ってもいかがわしい仕事では無く酒場のバーテンダーだそうだ。 ホストでは無いしそう客筋の悪い店ではないと、本人はそう言っていた。
賭事でなく真っ当な仕事を見付けると言っていた割に結局相も変わらぬ昼夜逆転生活の仕事を見付けて来た河童に、 俺は然し仕事は仕事だと思ったので特に文句を言う事も無かった。



暗い時間に起き出して自分の朝食兼悟浄の夕食(?)を拵えて、一人で食事を済ませてから寺へ向かう。 外が明るくなる頃に下手くそな鼻歌と共に帰って来る悟浄とは調度行き違いになる形で、家でなく道端で顔を合わせる事も少なくない。 と言うか朝顔を合わせない日も度々ある。今住んでいる家から慶雲院迄は徒歩で50分程の位置だ。 寺は遠くなったし自分でメシの支度や掃除洗濯をしなくてはいけなくなったしで寺を出て良かったと思えるような事は実際の処一つも無かった。 炊事洗濯は小坊主時代に一通り身についているので苦では無い事がせめてもの救いだ。
何故寺を出たかと言うと、一言で言ってしまえば俺が寺にとって必要な人間ではなくなったからだ。 僻んでそう思っている訳ではない。天竺への旅に出ていた間に寺に於ける役割分担が変わっていたのだ。 そしてその結果俺がいなくとも寺は充分立ち行くものとなっていた。
だから、寺を出た。
では何故今も寺に通っているかと言うと寺と繋がりを持っていた方が色々と都合が良いからだ。 例えば天竺から持ち帰った天竺語の教典の数々も、 俺が個人で所蔵しているとなれば煩く言われるだろうが寺と関係している俺が持っているのならば何も言われない。
そして、それよりも重要な事に「聖天経文」「魔天経文」を継承する次の「三蔵」を、俺は見付ける必要があった。 矢張りそれには情報を集める必要があり、慶雲院のような大寺院に所属していた方が何かと便利だった。


寺で生活している坊主共が朝課後の朝餉を済ませる頃に寺に辿り着く。 以前のように朝課の席で読経する事も書類仕事に関わる事も無くなり、 大方は蔵経に籠もって天竺語の教典の翻訳をしているか坊主共に天竺語を教えたりしている。 悟空のように覚える気が丸きりないようなヤツに勉強を教えるのは心底面倒くせえが、 まあそこそこ熱心な奴らが相手だとそれなりに面白いと思えない事も無い。 だがガキに勉強を教えるのが好きだと言う八戒の心情はどうしても理解し難いとつくづく思う。
夕刻になり拝観時間が終わり門扉が閉ざされる頃寺を後にする。 家に着くと悟浄があまり美味いとは言い難い食事を用意しているか出来合いの物を買って来ているかしている。 メシを喰ってから悟浄は仕事へと出かけて行く。 その後掃除洗濯の傍ら風呂の支度をして洗濯物を干してから寝る。 時間が時間なので洗濯物が外に干せない事とたまの休日にしか布団が干せない事が不満だ。 朝が来るとメシを喰って仕事帰りの悟浄と入れ違いに寺へ出向く。 その繰り返しだ。
一体何の為に一緒に住んでいるのだろうと時折思う。
共同生活体である「寺」と言う空間で育った俺にとって一つ屋根の下で暮らすと言う事は、 どんなに顔を合わせたくないヤツとでも否が応でも朝晩顔を合わせなくてはいけないと言う事と同義語であり、 わざわざ寺を出てまで悟浄と二人で暮らしていると言うのに (顔を見たくも無い程厭うている相手とわざと一緒に暮らしてみる修行だと言う意味では無いが) 俺の帰りが遅い時などは一日顔を合わせる事すらないと言う事実はひたすら俺を戸惑わせた。 これだったら同じ寺を出るにしてももっと寺に近い辺りに一人で暮らす方が部屋を散らかす河童が居ない分余程面倒が無い。
尤も、悟浄の思っていたのが俺の思うような生活では無かったと言う事も考えられる。
・・・普通はこんなもんなのかも知れない。
何しろ俺は寺以外の暮らしを知らない。俺の思っている「普通」の方が「普通」の基準からズレているのかも知れない。 違う、と言い切れる自信は無かった。
煩い河童のでかい図体が視界に見当たらないと家が広くて清々する、そう思う事で違和感を打ち消す事にして布団に潜り込んだ。





厭な夢を見て飛び起きた時室内は未だ真っ暗だった。
「は・・・」
せいせいと肩で息をしながら自分の額に手を当てて、開いた手のひらが返り血で濡れてはいない事を闇の中で確かめた。
夢。
ただの夢だ。
久し振りに見た、お師匠様を目の前で喪った時の夢。
目の前でお師匠様が俺を庇う形で両腕を広げ、切り取られた腕が宙を飛ぶのを声も出せずに見ているしか出来なかった時の夢。
「く・・・・・・」
鼓動が速くなっている。咽の奥で声を噛み殺して顔を伏せた。呼吸が出来なくなり必死に肩を震わせて喘ぐ。 固く眼を閉じると窓の外、ぱらぱらと何か細やかなものが屋根に叩き付ける音が聞こえた。 雨だった。
のろのろと身体を起こして微動だにせず闇の中凝っと眼をこらす。
悟浄が仕事に出掛けているこの時間、当たり前だが家の中に自分以外の人間の気配は皆無だった。 今頃悟浄は誰にでも見せる人当たりの良い笑顔で店の客と笑いながら話でもしているのだろう。 俺の事なんか思い出す事もなく。
きちんと戸締まりした筈なのに湿気が室内に入り込んで来ている。ひんやりとした空気に指先が冷たくなる。





雨は朝を待たずに止んだが結局眠る事が出来なかった。
寝不足で怠い身体を布団から這いずり出してメシの支度をしているうちに夜の間の酷い気分は幾らか和らいで来た。 粥の味見をしていると玄関の方で物音が聞こえた。
「ただいまー」
「早いな」
いつもは店が閉まってから掃除やら片付けやらしてから帰って来る悟浄がこんな時間に帰宅するのは珍しい事だった。 まだ閉店時間から大して経っていない。
「夕べの雨でお客さん少なくてサ」
客が少なかったと言う割に悟浄の立っている辺りからは女臭い香水が鼻を突く程に匂っている。 メシが不味くなるじゃねえかと振り返って、悟浄の頬と唇に朱色の痕を見付けた。 悟浄がこんな風に口紅を付けて帰って来るのは初めての事ではなかった。時には口紅だけでなくキスマークが残っている事もある。
「・・・・・・」
みっともねえもん残して来るんじゃねえといつも通りに言おうと口を開きかけて、止めた。気が付いたら手がガスレンジの火を消していた。
台所の入口に突っ立った侭だった悟浄の隣を黙ってすり抜けて廊下へ出た。玄関の扉を開けると奥の方から
「新聞だったら取って来たケド」
と言う声が聞こえたが答えず、その侭家を出た。





悟浄が長安に越して来ると告げたのは、まだ西域を旅していた頃だった。 ただ一度寝物語のようにぽつりと告げられただけだったが、長安へ戻って程無くして悟浄は言葉通り長安に越して来た。
「見に来ねえ?」
新しく借りた家を、そう誘われて自分は「そういう」意味なのだと思ったのだがきっとそれこそが間違いだったのだろう。 雨上がりの地面を草履履きでざくざく歩きながら考える。 勿論水溜まりは避けているがそれでも地面からじわじわと立ち上って来る湿気が足袋に移って来るようで苛々する。
悟浄が長安へとやって来たのは博打で喰って行くその日暮らしの生活を止める為で、 賃金の良い仕事を見付ける為だったのだろう。 そして恐らくアテにしていた八戒が河童の思惑など歯牙にもかけず別口の仕事を見付けて悟浄の思っていたのとは違う場所に家を借りてしまったから、 家の賃料を折半させる為に、或いは家事を分担するのに都合の良い相手として俺に眼を付けただけだったのだ。 長安へ引っ越すと告げられて、妖怪への畏れが残っているご時世に半妖である悟浄がそんな人の多い処にやって来て大丈夫なのかとか、 寺のヤツらには何と言うか、悟空の事をどうしようかと散々悩んだ自分の脳天気さが今更ながら愚かしくも呪わしい。 きっと長安へ越して来ると言い出した頃には悟浄の中では俺は既に「便利な同居人候補」となっていたに違いない。
甘い言葉で懐柔して時々抱いてやればそんな打算にも気が付かず飛び付く色ボケと思われていた訳だ。
・・・実際その通りだったんだからぐうの音も出ないのだが。
「ただの同居人」と思われていたのなら丸一日顔を合わせない事があっても何の不思議も無い。 女の気配を残した侭朝帰りされても何の不思議も無い。そんな事にも気が付かずまめまめしく家事を分担していた自分の目出度さに腹が立つ。 然しあまりにも腹が立つのでその怒りは河童へ向けたモノへと変換する。
気に入らねえ。クソッ。死ねクソ河童。これみよがしにべったり口紅なんかつけてきやがって。
げしげしと罪の無い街路樹に散々脚蹴りをくれながら寺の前の大通りを素通りした。





気が付いたらやって来ていた、と言うのは嘘で。
クソ河童に愛想が尽きたからと言って即寺に戻ったのでは散々苦言を呈したうるさ方の思惑に嵌ったかのようで腹が立つ。 それに今更寺に戻る訳にもいかなかった。
まだ日の昇りきってはいない往来をうろうろ歩きながら何処に行くか考えたが他に行く場所もなかったので渋々八戒の住まいを尋ねた。
ドアが開くと食事の匂いが姿を表した八戒と共にふわと流れ出して来た。 寺院のような朝の早い生活を送っている人間以外には今が朝飯時だったかと、今がまだ早朝と呼ばれる時間だとその時になって気が付いた。
「三蔵・・・?」
不思議そうな顔をする八戒に今日は仕事が休みだからと言い訳をした。
「悟浄はどうしたんですか?」
「寝てる」
まだ寝ている、ではなくて今頃布団に入った頃だろうと思って言ったのだが八戒にはそんな事は言わなくとも分かっているだろう。 家の中に通され俺の分も朝食をこさえると言うのをもう食事は済んだと答えて辞退した。 「食べた」と言えば嘘になるが一口喰って後は喰う気がしなくなったのだから「済んだ」と言うのは嘘では無かった。 客用のカップに注がれた八戒が手早く炒れたコーヒーを口に運ぶ。 今日は授業は午後からだと言いながら皿をテーブルに並べて行く八戒の作る朝食をチェックする。
トーストとベーコンと、みじん切りになったゆで卵やトマトの配された見目麗しいサラダ。
旅に出ていた間に八戒の作る料理なんぞ見慣れていたつもりだったが、 こうして日持ちのしない材料を使った料理を見るのは珍しい気がした。
磨り硝子を通して朝の光がテーブルの上に降り注ぎ皿の上の料理を優しく彩る。 その鮮やかな色彩に、河童に「三蔵の作る食事は地味だ」と言われた事を思い出した。 煮るか炒めるか茹でるか、調理法が違うだけで野菜料理しか出さない俺に、あの家に越して数日経った頃ヤツがそう言ったのだ。
つまらない事を思い出してしまった。
俺の作る料理が気に入らなければ皿でも喰ってろ。
言わせて貰えばてめえの炒れるコーヒーより八戒の炒れるコーヒーの方が100倍は美味い。ざまあみろ。
何となく勝ち誇った気分になって一気に飲み干してテーブルの上にカップを乱暴に置く。
「おかわりいかがですか?」
「ああ」
カップを手に取り立ち上がった八戒が背中を向ける。
「喧嘩でもしましたか?」
「・・・する訳ねえだろ」
さらりと尋ねられた言葉に即答する。
喧嘩と言うのは意見があり主張があり互いが言い合いをして初めて成立するものだ。
何を言われた訳でも無かったのに俺が勝手に勘違いしていて、漸くその間違いに気が付いただけだ。
そんなもの喧嘩のしようもある筈が無かった。






novel「花謝花飛」の次には長安編があってこうなってるのですが長安編が書き上がりませんでした・・・のでこんな処から。
お題は「言葉」ですが会話をせずに一人で壁にぶち当たる三蔵様。

三蔵法師に続く。



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