花謝花飛 1
天竺国に入り山脈を幾つか越えた処に吠登城は在った。
険しい山道を登った山頂近くに恐ろしい妖怪達が一国を築き上げられる程の数棲んでいる城があるのだと地元の民は噂し怯えつつも、 吠登城を目指すと告げた自分達を引き留めた。妖怪も恐ろしかったであろうが彼らにとって山は神聖なものであった。 山の頂、随分高い処に其の城はあったから闘っている間の喧噪は麓には届く事無く、 満身創痍の姿で下山した折も自分達が妖怪達に行き遭い命からがら逃げ出したのだろうと心配そうに話掛けられ鼻高々で妖怪達の根城を根絶したなどと自慢するつもりは毛頭なかったが逃げ出したと思われるのだけは我慢ならなかったので控え目に否定した。







カーテン越しに太陽の明るい陽差しが白々と室内に入り込んで来るのが眩しくて目が覚めた。
自分の躯に絡み付いて来ている悟浄の腕を起こさないようにそっと解いて床に降り立ち身支度を整える。 ここ数日続いていた眩暈はどうやら治まったらしく時折襲って来る足下のおぼつかない感覚も消え失せ一人階段を降りてみれば忙しく立ち働いている宿の人間が朝の挨拶をして来たのでこちらも挨拶を返した。 天竺の言葉で朝の挨拶を交わすようになったのはどれ位前からだったろうかとぼんやり考える。
少し外に出ると宿の者に目で合図し扉を開ければ怪異の収まる前と同じ晴れ渡った空の蒼が目に痛かった。
山に登る前に泊まった宿屋の人間は自分達を覚えていたので怪我だらけの酷い有様を見ても追い払う事無く再度の逗留を承諾した。
怪我と返り血で袖一本分が丸々血で染まった法衣は見て気持ちの良いモノではなかったし散々解れ破れてしまった為とてもでは無いが着用に絶えるシロモノでは無くなってしまっていた。 此の地では仏法僧は僧衣を纏う事無く袈裟だけを身に付けている。 東の地で見る簡略化された或いは行事の際に纏う装飾品としての華美な袈裟では無い一枚布に仕立て上げられた物で最高位の者が自分のように白い衣を着る事は無い。 法衣が手に入る辺りに辿り着く迄は換えの法衣を大事にしなくてはと思う。 本来であればこれ以上衣服の心配をする必要は無い筈だ、 往路には間断なく襲って来た吠登城の刺客達は今や自我を取り戻し今後は他人の命ずるが侭に自分達を襲う事は無い筈なのだから。
然し疑い深い自分は未だ吠登城の残党が残っているのでは無いかという可能性を棄てきれずにいる。 狂った妖怪達に襲われる人間を案じてでは無い、三仏神に下された任務を全うしたいと謂う任務感からでも無い、 再び経文が狙われる事があってはならないと思うが故であると自分に言い聞かせる。 長安から車を利用してでさえ一年以上の距離(勿論途中散々足止めを喰らった所為もあるが) のこんな処に再び旅をするなど御免被りたいと真実、願う。


未だ早朝と言える時間で日差しはきつくなかったが庭の大木の木陰に入り幹に背を凭せ掛けて聖天経文を袂から取り出し紐解く。 自分の双肩には以前と同じく魔天経文が掛かっている。 聖天・魔天両経文の守り人でありながらお師匠様のその双肩には聖天経文をしか掛けている処を見た事が無かった。 「光を生み出す」経文はあの方にこそ相応しいように思えたし肩に掛けていても重みさえ感じる事の無い紙に馴染みなどある筈無いが自分には魔天経文の方が馴染んでいるように思えた。 勿論それは思い上がった錯覚に過ぎない。 誰の物でも無い、本来天上界にあって然る可き経文を現世に在っては短い歳月を経文を護る為だけに継承される三蔵法師など経文の持ち主でさえありはしない。
巻物をくるくると広げながら現れて来る文字に視線を走らす。幾度目にしても訝しみのあまり自然と眉根が寄る。 師の肩に掛かっていた折はついぞこんな意味深な文字が見えた事は無かったように思うのだが聖天経文には魔天経文とは違い、 一見して経と思えない謎めいた文面が至る処散らされていた。 牛魔王の蘇生実験の一端を担っていたのだと言う此の経文。 恐らくは此の図が蘇生実験への何らかの手掛かりであったのだろう。
こんなものの為にお師匠様は殺された。
こんなものの為に多くの妖怪が自我を喪い一部の妖怪達の良いように操られそれまでの暮らし全てを失った。
そして自我を喪った妖怪達に多くの人間が殺された。
今更そんな事に憤る程人がましい感情は持ち合わせてはいないが思考の間だけ経文を読み解く速度が遅くなっていた事にふと気が付いた。









体調を持ち直してからも宿に留まる事二日。
此処、天竺の寺院から使いの者が宿に現れた。

乾いた土を踏みしめなだらかにだらだらと続く傾斜を歩いた。長安近郊の山と違ってこの辺りでは山と言っても植物や大樹が鬱蒼と生い茂る事は無い。
四方を塀で囲まれ大仰な門を構えている長安の寺と違いその寺は壁も無く何となく歩いているうちに境内に入ってしまう造りとなっていた。 正面に見える建物の大扉、あれが寺の門だろう。 扉を閉めている時は拝観時間外(そう言った概念が此処天竺の地にもあるのかは知らないが) だが建物以外の寺の敷地に入る事は何時如何なる時でも許されていると、そう言う事であろうと推測する。 寺院どころか街自体が城壁で囲まれている長安とは全く違う。 仏教発祥の地だけあって仏閣への民草の信仰が篤く厳重な警護は不要と言う事なのか単に長安との人口の違いであるのかは判別し難い。
敷地内に大きな菩提の木が植わっているのを横目で見ながら通り過ぎる。 急な山腹に生えるように建っているその堂宇は外は漆喰だが内部は木造で目にも鮮やかな朱塗りの柱は金や青や橙や緑の塗料の華やかな模様に彩られていた。
通された天井の高い広い部屋で待ち受けていた明美な橙色の袈裟を纏った僧侶達が背凭れも何もないただの台のように見える椅子に座っていたのでそれに倣い手前の椅子と思しき台に腰を降ろす。 自分より後ろ、少し離れた処に悟空達も腰を降ろした気配がした。 天井にも夥しい数の釈尊図や花の絵が極彩色で描かれているのを無礼にならない程度に頸を上げて見回すと挨拶の長口上が始まった。
所々意味の分からない単語もあったが大筋は東方より訪れた高僧が妖怪共を排した事を仏のご威光であると、 神仏に感謝すると言っているらしかった。
『仏陀が生まれ育ち悟りを開いた地である此の天竺に於いて封ぜられた筈の妖怪共が古の眠りより目覚め悪事を働き人心を苦しめていたものを今尊き導きにより・・・』
年老いた異国の僧侶の口から淀みなく流れ出す謳うように朗々と続けられる心地良い音の響き。 排したのではない、屠ったのだと口に出す事はせず語られる内容は所々音楽のように聞き流しながら幾度か 『全ては御仏のお導きの賜でございます』と念仏のように繰り返しながら考える。
あれは全て感謝されるような事でも見た事も無い仏に感謝すべき事では無かったのだと。
御仏の導きがあったのならそもそもこんな事起こる可きでは無かったのだ。
人間同士でさえ住んでいる地が違えばこれ程までに言葉が違い衣服が違い習慣が違うのだ。 ましてや妖怪と人間であったなら尚の事、妖怪達だけで独自の文化を築き上げ定住し人間に反目する事があってもおかしな事では無いだろう。 然し其れが妖怪達の自然派生した意識に基づくものでなく一握りの者の欲望の為に繰り広げられたと言うのなら話は別だ。
あの哀れな『先生』の言いなり、嘗ての師の知人でもあった烏哭三蔵法師の弟子、真実の名前も知らない『カミサマ』。 生き死にをただのゲームだと思う子供の侭大人になった烏哭の手駒。
自分達でさえあの烏哭のゲーム板に乗せられ、降りる為には全ての楔を断ち切り戦わねばならなかったがそれすらヤツにはゲームの一環でしか無かった。 自らをもゲームの駒と数えていた狂った男の為に繰り広げられたくだらない茶番。 あの不快な遊びの為に自我を喪い生きてきた場所も築き上げて来た幸福も失くした桃源郷全土のほぼ全ての妖怪達。
そして敵の首魁の首をあげたからと言って物語のようにめでたしめでたし、では終わらないのだ。
自分達が殺したあの耶雲が言っていたように洗脳を解かれた妖怪達がそれ迄暮らしていた街へ戻って「今迄の暴虐ぶりは自我を乗っ取られていたからでした」 と告げ嘗てと同じ暮らしを始めました、で済むには遅過ぎた。




続く

100題「Stand by me」の続き。
タイトルは紅楼夢に登場した詩のフレーズより。発音は「hua xie hua fei」。謝は「(花が)散る」と言う意味。
印度の寺院は地域によって全然形式が違うので建築の本見て愕然としました・・・。 山の方はチベット系っつうか密教入ってるみたいですが。

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