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法衣
先日金山寺の事を思い出して以来よく昔の夢を見る。 取り返しのつかない昔の事を懐かしく思う趣味は無かった筈だがうたた寝をしている時など殊更に頻繁に夢に現れるようになった。 アルバムを捲るように切り取られた一瞬一瞬が現れては消える夢。 春には淡い色の山桜が秋には黄金色の乾いた落ち葉が止む事なく降りしきり、 風が吹いては掃き清めたばかりの庭にくるくると舞い落ちる。 自分の身の丈程もある竹箒を両手で握り締め忙しなく庭を掃いているとゆったりと近付いて来る影。 「せいが出ますね」 「修行ですから」 面白みのない答えを返してさかさかと箒の先で小さな薄桃色を払おうとするとお師匠様はそれを制した。 「江流、ごらんなさい」 「何ですかお師匠様」 お師匠様の言う事やする事は寺の大方の坊主共とは全然違っていた。 正直その突拍子の無さは自分にとって楽しいものであったがわざと何ともないような声音で答える。 「ほら、今日は花の形の侭散ってるのが多いと思いませんか?」 身を屈めてお師匠様が拾い上げたのは花弁が5枚とも綺麗にくっついて花の形の侭散った桜。 そう言えばいつもは花弁がバラバラに一枚ずつに分かれて地面に落ちている気がする。 「どうしてだか分かりますか?」 「・・・風が吹いているからじゃないんですか」 「そんなに強くないですよ」 「時々強く吹いてますからその時にでも散ったんじゃないですか」 大して考えもせず口にしてしまってから後悔した。 その答えが間違っていようとも多少なりと思考したのであるならばともかく、 考えた努力の跡も見られない発言をお師匠様は望んでなどいなかっただろうと思ったからだ。 しまったと、小さく唇を噛む。軽率な発言を恥じていると知られるのもイヤだと考える程に、 あの頃の俺は背伸びをしたがっていた。 「上を向いてご覧なさい」 優しく声を掛けられて言われる侭に顔を上げる。だがお師匠様は俺が顔を上げた高さよりももっと上の方を向いていた。 「今日は鳥が多いですねえ」 ほら、と言いながら花を持っていない方の手でお師匠様の指が宙を差す。その動きに合わせて俺の目の前で法衣の白い袖がはためく。 煙管や刻み煙草や時には饅頭が隠されている事もある、 三蔵法師のみしか着る事を赦されていない法衣にも関わらずおよそ三蔵らしくない長い袖。 お師匠様の視線を追って更に上を向く。頸をがくんと後ろに倒してほぼ真上の位置を見上げるまで。 細い桜の枝葉を揺らして鳥達が小さく飛び交っていた。 「あ・・・」 鳥が飛んだ先から花が舞い散る。一つ、二つ・・・。そこで漸く俺は気付いた。 「鳥が・・・」 「蜜を吸う為に花の付け根を食んでいるんですよ」 お師匠様が先程拾い上げた花を掌に載せて差し出すのを見れば、 花の付け根は確かに何かに噛み切られたような不自然な切り口を晒していた。 「花の蜜って美味しいんでしょうか」 しげしげと自らの掌の上の花を見つめるものだからその侭口を付けてしまうのではないかと心配になった。 「地面に落ちたものに口を付けたりしないで下さい」 「少しくらいなら大丈夫ですよ。尤も、この花は既に鳥に蜜を吸われてしまってますけどね」 考える事を放棄しようとした傲慢さも恥を隠そうとする狭量さも全て呑み込み、 ただ笑ってみせたお師匠様の法衣が目に痛い程白い。お師匠様の背後ではらはらと音も立てずに花びらが零れていた。 そこで唐突に場面は切り替わる。 先程まで満開だった山桜はもう散って青々しい葉が空からの日差しを所々遮っている。 自分でも何処かでこれは夢だと知っていながら視界に映る現在の自分のものよりは随分小さい手を見下ろす。 水を張った手桶に両手を突っ込んで白い着物を洗っている。と言っても法衣ではなく修行中の者が身に付ける白衣であろう。 汚れが落ちたか布地を伸ばして眺めてみる。 「ヨ。江流」 声を掛けられるより前に砂利を踏む音に顔を上げてその男が近付いて来ている事は知っていた。 墨染めの衣をゆるゆると着崩した長身の男。 先程お師匠様と一緒にいた時よりは俺は大きくなっているらしかったがそれでもまだ朱泱との間には見上げる程の身長差があった。 「男前になったじゃないか」 「うるせーよ」 面白そうににやにやと笑って告げられるのにぶっきらぼうに言い返すと、 切れた口の端が少し引き攣って痛んだが意地でもそんな素振りは見せてたまるかと顔を歪めそうになるのを堪える。 少し前に寺の衆僧の幾人かと取っ組み合いの喧嘩になった。 お師匠様が留守にしてらっしゃる時は特にちょっかいを掛けられる事が多いのでまたか、 と思っていたのだが無視すれば良いだけの言葉を無視しきれず挑発に乗ってしまったのだ。 多勢に無勢。君子危うきに近寄らず。 勝ち目の無い喧嘩を買うのは愚か者のする事だ。怪我を拵える事自体は大した事じゃない。 こんな痛みどれ程のものでもない。そんな事よりも怪我をした俺を見てお師匠様が眉を顰めるお姿を見る事の方が辛かった。 「ほら」 黙り込んだ俺の目の前に朱泱が何かを差し出した。 「いらねえ」 それを竹皮に包まれた握り飯だと認識してそっぽ向く。 「いいから食えって」 「いらねえよ」 心静かに暮らさねばならない修行中の身でありながら (と言っても俺は生まれた時から寺にいると言うだけで自分の事を出家した坊主だと思った事は一度も無いのだが) 静謐を乱した罰として俺と当該坊主共は食事抜きを言い渡されていた。 「食わないとでかくならないぞ」 笑いを含んだ声音で自分の背の低い事を揶揄され、むっとして朱泱の方へ振り向きかけた時ぐいと口元に握り飯を押し付けられた。 「てめえっ!」 慌てて握り飯の届かない辺りまで顔を背けてから怒鳴りつける。 処が朱泱は先程まで俺に向かい差し出して来ていた腕を引っ込めていた。 「お前が食わないなら仕方ないから俺が食うしかないよなあ。 江流と間接キスか。まあそれも仕方ないよな、食い物を粗末にする訳にはいかないし」 そんな事を一人でぶつぶつと呟いてから朱泱は大きく口を開けた。 「まっ、待てっ!」 必死になって朱泱の腕にしがみつき握り飯が朱泱の口の中に消える前で止める。 「うわ。落っことしちまうだろうが」 そう言いながらも朱泱は腕をすいと胸の高さに上げる。 「食うなっ!」 「じゃあ、お前が食うか?」 バカにした様子ではなく、本当にただ確認しているのだと言う風情で朱泱が尋ねる。 「・・・・・・」 視線を離さず尋ねる朱泱に、こちらも目を逸らさないで大きく一度だけ頷く。 ここで、本当はお前も腹が減ってたんだろ、なんて言われたら絶対頷いたりはしなかった。 朱泱と言うヤツは、相手が折れやすいようこうやって易々と抜け道を作ってくれる。 その上朱泱は俺の気性を良く分かっていた。 「他のヤツに見付かる前に食えよ」 「ああ」 差し出された握り飯を受け取って、食らいつく為口を開けると口の端の傷が痛んだので眉間に力を入れて痛みを堪える。 「しかめっ面で食うなよ」 咎めるでもなく面白そうに笑いながら朱泱が頭を撫でる。 「あんたこそ人が飯食ってるの見ながら笑うな」 言い返すが朱泱の手が離れる事はない。それどころか今度は頬を触り始めた。 「触んな」 ざらざらとした大きな掌の感触。朱泱にこんな風に顔を触らせた事は無かった筈なのにヤケにリアルな、 体温さえ感じる夢とは思えない感触。 「朱泱・・・?」 訝しむと何時の間にか朱泱の顔が間近に迫っていた。首筋に吐息がかかる。 「しゅうえ・・・っ!」 どん、と突き飛ばした感覚も夢にしては確かな手応えがあった。 ゆるゆると目を開けると、そこは金山寺ではなく視界に映ったのは見慣れた天井だった。 それから、これもイヤになる程見慣れたエロ河童。 「・・・・・・貴様」 明かりを遮るように覆い被さっている河童の姿に何が起きていたのかを悟る。 「いや、これはちょっと!何もしてないから!」 何もしてないと言いながら河童は必死に後退る。 「寝てる間に・・・」 ハリセンを握る手が怒りのあまり震える。 「何かされてたまるかこのエロ河童っ!」 絆の続き。 桃源郷の仏教って宗派は多く無さそうですが禅宗では庭を常に綺麗に保つのも修行の一つなのですが庭に桜があったら大変そうだ。 数珠に続く。 33題 |