遠い道




「その顔どうしたの」
三蔵にグーで殴られ腫れ上がった顔の侭仕事に行けば案の定そう尋ねられた。
「酔って台所で転んで強打」
「気を付けなよ」
作り笑いと共にスラスラ口をついて出る嘘に、 まあ本当の所そんなモンじゃ誤魔化される訳ないと思ったが同僚達は労りの声を掛けてくれた。



「色男がダイナシ」
鏡を覗き込んでみれば昨日よりは幾分腫れが引いたものの相変わらず青痣の残った侭の手前のツラ。 唇の端も切れていてメシを喰うと染みるが文句を言うべき相手は昨夜は家に帰って来なかった。 自分が三蔵に何と言ったのかは覚えている。三蔵が自らの手で殺したあの男。 徒歩で土地土地を渡り歩いている相手などこちらはジープで旅路を行く身だ、 幾ら「全ての妖怪を滅する」 と言われた処で出立してしまえばこっちのものだったのをわざわざ瀕死の重傷から立ち直った身体で宿を抜け出し三蔵が自分の手で終わりにしてやるだけの理由が、 過去があったに違いないのだ、あの六道とは。 それを言うに事欠いて昔の男だったのかと勘繰るなんて、色男はともかくイイオトコ失格だ。
「・・・痛え・・・」
鏡に向かい痣を指でなぞり上げ一言呟いてから仕事に出掛けた。
今度の職場は「桃源郷出版販売」略して「桃販(とうはん)」、 書店相手の卸だ。いや、卸ではなく取次と言うのだそうだこの業界では。 長安には出版社が多い。そして書店の数も。書店からの注文がある度出版社が配送するのも、 そして書店サイドでは数多い出版社への注文をバラバラと出すのも手間だし効率が悪い。 そこで桃販が書店の注文を纏めて出版社へと発注を出し、そして納品になった本を桃販が書店へと配達する、そういう仕事だ。 長安は広いので配達は勿論徒歩では無く、大口書店へは荷車、或いは馬車で、そして小口の配達は自転車で行う。 俺は体力仕事の自転車配達で採用されたが入ってみたらよぼよぼのこの道一筋っつう爺さんも自転車配達組だったりしたので結構侮れない。 荷台一杯に本を載せると10kg、20kgなんて可愛い重さではなくなるそれにバイクならともかく自転車では会社を出る時は俺でさえよたよたとしか走れないのに爺さん何モンだ。 映画公開直後で原作本がバカ売れのこの時期、 文庫ならともかくハードカバーのその本の注文が途切れることなく入っているので連日荷台は満載だ。

そして配達のついでに三蔵の立ち寄っていそうな場所ナンバー2の八戒の家に寄ってみれば三蔵は来ていないと告げられた。 恐らく八戒の所にでも厄介になってるんだろうと思ったのだが読みが外れたようだ。
「書店のアルバイトでも社員割引は1割の所が多いのに2割引ですか」
新しい仕事の事を説明するとこの暑い中自転車で走り回ってる俺に熱いコーヒーを出してくれた八戒が身を乗り出した。
そう、俺は現在社員ではなくアルバイトの身だ。 然しバイトでありながら今夜は俺の歓迎会をしてくれると言うので新人にも関わらず仕事中に寄り道なんぞして本当は仕事帰りに寄るつもりだった八戒の家に来ている訳だ。 壁時計を見上げてコーヒーを慌ただしく飲み干してから炎天下の中荷台の重たい茶色いサドルの自転車に跨れば途端に汗が噴き出した。









色白ながらもむっちりとしたウインナーのような指で赤い色の付いた甘ったるいカクテルをちびちび飲んでいた同僚がトイレに立ったきり戻って来なくなったのは2次会の席の事だった。 大してアルコールの入っていない、俺にしてみればジュースのようなそれに酒と同じ色に頬を染めていたその人がトイレで寝こけていたと、 様子を見に行った女の子が困ったように告げたのを機にお開きになった。
「昌さンちってどの辺りだっけ?」
程良くへべれけになった同僚の助けを借りて薄暗い店の明かりの下でも安物と分かる大量生産品の長椅子に寝かされた昌さんの肩を担ぎ上げる。 身長差があり過ぎてかなり身体を傾けないといけないので体勢的に結構苦しい。 告げられたのはこの侭担いで連れて行くにはちょっと遠い地区。
「げ・・・っ」
「昌さんてチャリで通ってるじゃん」
「そうだった・・・」
店を出る間も昌さんが目を覚ます事は無く、自分で歩く事もなかったので足は地面に着いてずるずると引きずられている。 きっと靴に傷が付いてしまうに違いないとは思うもののかと言ってお姫様抱っこだのおんぶだのするには申し訳ないがちょっとボリュームがあり過ぎるし脱力しきった人間と言うのは結構重たい上に抱きかかえるとぐらぐらと身体が揺れて危なっかしくてしようが無い。
「あーもー・・・分かった。俺ん家近いから連れてく」
「ひゅーひゅー。おっくりオオカミー」
店の前にバラバラに立つ同僚の誰かがからかうように調子っぱずれな声で言う。 ひゅーって口で言ってんじゃねえよ、とは思ったがそんな事を言うだけの余裕も無い。
「ちげーよ。俺んトコ同居人がいるって。家の前までで良いから肩貸してくんない?」
「うい」
「ガンバレよー」
「オヤスミー」
「明日遅刻すんなよー」
俺の歓迎会の筈なのに酔っ払いの面倒をみている主賓の俺への労いの言葉も無い侭皆好き放題言って見送り見送られながら解散となった。







「起きられる?」
「んー・・・」
「水飲める?」
「んんー・・・」
店からそう遠くはない筈の家に必死に辿り着いてみれば今日も三蔵は帰って来ていないようで家の中に明かりは灯っていなかった。 ともかく前言通り玄関迄送って貰った同僚に礼を告げて横にした方が良いだろうと昌さんを俺の部屋に運び込む。 万が一この侭起きなかった時の為にソファでなくベッドに横にしてやる。 やっぱ女の人にソファで一晩寝かせる訳にはいかないし。 せめて水だけでも飲ませようとコップを持って話し掛けてみるが相変わらず一向に起きる気配が無い。 矢張り朝まで起きないかも知れない、そう思ってせめてメタルフレームの華奢な眼鏡を外してやろうと手を伸ばす。
その時、何時の間に帰って来たのか三蔵が開いた侭のドアの処にひょいと姿を表した。
「・・・・・・」
「・・・・・・(汗)」
「邪魔したな」
表情一つ変えずに言った後ご丁寧にドアを後ろ手できちんと閉めて三蔵は踵を返した。
「まっ、待てっ!これには事情がっ!」
慌てて三蔵を追い掛けて部屋を出る。
「留守にした途端女を連れ込むとはな」
三蔵の部屋のドアを開けると直ぐ様振り向きもせず冷たい言葉が投げ付けられた。
「違うって!職場の同僚!今日俺の歓迎会で」
「そいつは良かったな」
即答する三蔵はこちらを一目たりとも振り返りはしない。
「潰れちゃったから連れて来たんだってば!ホテルに放り込んで帰るっつうテもあったけど何かあったら困るし」
「どうだかな。今日も俺が帰って来ないと思って連れ込んだんじゃないのか」
「さん・・・っ」
「・・・・・・」
俺の言葉を拒絶するかのように三蔵は無言で袂から煙草を取り出して火を点ける。
「・・・・・・どうだ」
「・・・・・・え?」
「痛くも無い腹を探られる気持ちが分かったか妄想エロ河童」
長く煙を吐き出した後無表情に言いながらやっと三蔵が顔をこちらに向けた。
「あ・・・、う、うん。それは勿論!」
最後の一言はまだ怒ってるんじゃないかと思うような言葉だったが同僚を運び入れた事に対してでなく、 先日の俺の失言に対して言われているのだと理解し慌てて頷く。
「フン」
眉間に皺を寄せて三蔵は小さく鼻を鳴らす。
「痛くも無い腹って事はさ、俺の言った事信じてくれてるんだよな・・・?」
恐る恐る口にする。
「どうだかな」
三蔵の返事は素っ気無かったが言い方こそ冷たくともその口調にはもう怒った様子は感じ取れない。 そろそろと部屋の真ん中で突っ立った侭の三蔵に近寄る。
「ごめんな」
「・・・・・・」
そっと肩に手を置いて背後から抱きすくめても三蔵は抵抗しない。
「ホントにごめん」
三蔵の顎に手を添えて上向かせて唇に触れる。開いた唇の間から舌を差し入れて口内で絡め合う。
「う・・・」
性急な舌の動きに付いていけず三蔵が色っぽい呻き声を漏らしながら苦し気に呼吸する。
そう言えば三蔵はちゃんと飯喰ったのかな、 そう思いざらざらする舌の表面を自分のそれで確かめるようになぞり上げてみても自分の飲んだ酒の味とマルボロの味しかしない。
「・・・朱泱は」
しつこい位に貪った後唇を離すと三蔵が吐息のように小さく、だがはっきりとした声で呟いた。
「言動こそガサツだったが面倒見が良くて人望があった」
ガサツと言う事にかけちゃあんただって人の事言えない、と思ったが黙っておくことにする。
「こんなナリで拾われ子の俺にも他の者に対するのと同じように接してくれた」
三蔵の口から自分の容姿に関する発言を聞くのは珍しい事だった。
誰に言われなくてもこの桃源郷に於いては珍しい部類に入ると一目で分かる金色の髪に紫の瞳。 最高僧の身である現在でこそ「神々しい」と賞賛されてはいるが何者でもなかったただのガキの頃はその稀有な容姿の為に三蔵も苦労していたのかも知れない、 そう思うとガキの頃から望んだ訳でもない真っ赤な髪と瞳の所為で要らぬ苦労ばかりをしてきた自分と三蔵の過去がダブった。 菫色の瞳は俺にひたと向けられた侭逸らされる事は無かったが。
「だが別にお前が思うような関係じゃなかった」
「・・・ん」
返事をして、瞼に口付けようと顔を近付ければ俺の意図を察した三蔵は唇が届く前に自分から目を閉じた。唇に長い睫の触れる微かな感触。 震えているのは三蔵かそれとも俺か。 ぺろ、と舌を出して閉じた瞼を舐め上げると三蔵が身じろぎして俺の肩にぐいぐいと掌を押し当てて身体を退けようとする。
「犬みてえな事してんじゃねえよ」
そう告げる三蔵からは酒の匂いもしないのにまるで酔っているかの如く頬が赤らんでいた。 その様子が可愛くて犬のようだと言われた言葉の通り鼻先に舌で触れる。
「てめ・・・っ!バカな事してねえでとっとと風呂入って来い!」
怒鳴りながら横を向いて必死に俺から顔を遠ざけようとするその物馴れていない仕草が実はキレる一歩手前だと見て取り、 八戒に治してもらったばかりの青痣を再度拵える前に素直に退散した。


着替えを取りに部屋に戻れば昌さんは未だ起きる気配も無く寝台に身体を沈み込ませていたので掛け布団を喉元迄引っ張り上げてやる。 明日は彼女が起きる迄待ってやった方が良いのかそれとも仕事に行く時間の前に起こしてやった方が良いのか。 きちんとした仕事だけに新人の身で遅刻と言うのは自分としては避けたいのだが。
どうしたものかと考えながらガラ、と風呂場の引き戸を開けてみれば実は未だ風呂の支度が出来ていない事が分かった。
「・・・・・・」
確かに風呂に入って来いとは言われたが風呂の支度が出来ているとは言われなかったな、と思いつつも未だ三蔵は怒っているのかも知れないとも思う。
俺はシャワーでも構わないのだが三蔵は湯船に湯を張ってちゃんと風呂に浸かる方が好きだ。 水道の栓を思い切り捻りバスタブに勢い良く湯を流し込む間に戸棚をごそごそと探る。 温泉の素を探し出して開封し、紫色の粒をお湯の中に溶かし込みながら初任給が支給されたら三蔵と温泉にでも出掛けようと、そう思った。
そして風呂上がりに二人で酒でも飲みながらゆっくり語ろう。三蔵の大切な人の話を。






の続き。

ト○ハンはあってもニ○パンは無いです桃源郷。
どこら辺が「遠い道」なのかと言うと悟浄さんの同僚の家迄が・・・スミマセン。

信仰に続く。



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