留守番




店の看板は午前4時だが必ずしも毎日きっかり4時に閉店する訳じゃあない。 常連さんが名残惜しげに仲々腰を上げず4時と言うよりは5時近くになる事もある。 そしてそれとは逆に時間より早く店を閉めてしまう事もある。
例えばこんな客の入りの悪い雨の日は。
俺がこの店で働きだした時からしょっちゅう見掛けてた常連カップルは、 どうやら男の方ではなく女の方が元々の常連だったらしい。
湿気でばさばさに広がったくるくるの髪。腫れぼったい目の下。気合いの入ってない化粧。 そしていつもの連れのいない侭スツールに腰掛けている姿。
こんな雨の日にフラレるとはツイてない。
そう思ってそれとなく気を配っていたら帰り際ほっぺたと唇にお土産を貰った。
その常連さんが店を出るとマスターが
「もうどうせ今日は客も来ないし店仕舞いにするぞ」
と宣言した。早い時間だったが了解、と答えて片付けを始める。 客が少なかったので掃除がラクかと期待したがびしょ塗れになった床の掃除は思ったより手間取った。 だがいつもよりは早い時間に店を後にする事が出来た。雨の上がった早朝の道を歩いて帰る。店から家迄は徒歩で20分程の距離だ。





「ただいま」
この台詞を口にするのは未だに照れくさい。 八戒と同居を始めた時も居心地の悪い感じがしたものだがあの時の違和感とは違ってむず痒いような、 顔が思わずにやけだしてしまうという性質のもので、 このにやけ面をこの時間帯は大体台所に立っている三蔵に見られないで済むのが幸いだ。
八戒のような「おかえりなさい」と言うきちんとした挨拶が返される事は無いが台所を覗き込むと三蔵がガスレンジの前に立っていた。 二人分の食事を作る為に。 あの袖の長い上に真っ白い法衣の上にエプロンを掛ける事もなく料理する姿は見ている方がハラハラするのだが三蔵はそんな事気にも掛けない。 コトコトと粥が煮える音が聞こえる。三蔵の作る料理は粗食に近い。 例えば今日の粥の場合三蔵自身が眠たそうにのろのろと喰うのはただの白粥で、 油条や皮蛋だの俺の分の具は適当に自分で用意しなくてはならない。
「早いな」
「夕べの雨でお客さん少なくてサ」
ちらと振り返った三蔵は無表情にこちらを一瞥した後すぐ視線を戻した。 ガスの火を消した三蔵がこちらに歩いて来てその侭俺の横を擦り抜け廊下に出た。 気にせず台所の椅子に腰掛けて家に入る前に郵便受けに突っ込まれているのを取り出して来た新聞を広げる。 がちゃりと玄関のドアが開けられる音がするので立ち上がってみれば三蔵の背中が見えた。 新聞は俺が持って来ていたのだが気が付かなかったのかも知れない。
「新聞だったら取って来たケド」
そう呼び掛けたが聞こえなかったのかその侭三蔵は外に出て行ってしまった。







結局その後、二人分の粥を鍋に残したきり三蔵が戻って来る事は無かった。 いつもより早い時間に出なくてはいけないのを忘れていて慌てて出て行ったのかも、あいつうっかりしている処あるしな、 と考えて粥を食ってからシャワーを浴びて眠り、 起きてから残りものの長時間水分を吸ってベタベタになった粥と言うか寧ろ餅のように変わり果てたモノを食べた。
「棄てるぞコラア!」
・・・と思ったが食い物を粗末にしたのがバレると三蔵が煩いので仕方なくちっとも美味くなくなった食い物と言うよりは物体となり果てた嘗て粥だったモノを黙って口に運んだ。 残っても、冷えても食えるモンを作ってくれた八戒の料理が心底恋しくなるのはこんな時だ。 当たり前のように思っていたが八戒と言うヤツが如何に有り難いかがこうして離れてみると良く分かる。 品数も多いし野菜だけじゃなく肉も魚も出してくれたし。 三蔵の作る料理は何と言うか非常に健康的だ。生臭坊主の癖に。粥(肉無し)だの野菜だの、 そのうち霞だけ喰ってりゃ平気な体質になっちまうんじゃないかと思う位味気ない。


仕事に行く前にメシの支度をする。今度は俺が二人分こさえる番だ。 缶詰のミートソースをぶちまけただけのパスタと、矢張り缶詰の豆を適当に煮込んだスープ。 仕事に行く前なので酒は飲まない。 店で時々付き合いで何杯か飲む事はあるが三蔵と暮らし初めてから俺の生活は随分健康的になったと思う。生活する時間帯の事を抜きにすれば。
だが健康的な暮らしも結構だがたまにはワインでも冷やしておこう。三蔵の休みの日に合わせて開ければ良い。 そしてその時は少し豪華なランチにしよう。三蔵が帰って来たら次に休みが取れる日を訊かなくては。
そう思ったのだが仕事に行く時間になっても三蔵は帰って来なかった。 仕事が長引いて帰りが遅れた事はそれ迄にも何回かあったのでその時も俺はあまり気にせずにいた。

流石におかしいと思ったのは翌朝家に帰ってみたら自分が用意した昨日の夕飯が手つかずでテーブルの上に乗っているのを見た時だった。
「帰って来なかったのか・・・」
三蔵の部屋を覗いて見ても家に戻って来ていた気配は無く、遅い時間になったから寺に泊まったのだろうと、そう思う事にした。
自分でこさえたメシの残りを詰め込んでから横になり、昼を回った頃起き出し近所の店でメシを喰った。 そして夜になっても三蔵は未だ帰って来なかった。 インスタントラーメンを鍋で煮込み、三蔵の分の袋をテーブルの上に置いて仕事に出掛けた。
朝になっても三蔵は戻って来なかった。


流しに洗われない侭の食器が積み重なって行く。
寺で、仕事が終わらなくて・・・と自分に言い聞かせるように唱えながらシャワーを浴びてベッドに横になる。 昨日起き出したきりの寝乱れた侭のシーツ。
三蔵は「汚ねえ布団」が嫌いで俺の留守の間に黙ってシーツを洗っては布団を整えておいてくれる。 と言っても日中仕事に出ている三蔵が洗濯をする時間は当然夜なので、折角洗って貰っても 「お日様の匂いでふかふかの洗い立て」と言う訳にはいかないのだが。
「・・・・・・」
布団の上でごろと寝返りを打つ。





「三蔵だったらお仕事のようですよ」
引っ被ったシーツを乱暴に撥ね除けて走って行った先で、その家の主は告げた。
「たまたま此処に来ている時にお寺からお迎えが来て、お葬式があるとかで呼ばれて行きました」
「何だ仕事か・・・」
坊主が葬式とあっちゃあ急だろうが何だろうが文句の言いようもない。 厄介事に巻き込まれて姿を消したとかではないようでひとまず安心する。
「あの、悟浄。お葬式と言ってもこの陽気ですから三蔵も急いでたんだと思いますよ」
「ん?ああ、だいじょーぶだって。そんな事気にしちゃいねえよ」
冬場ならばともかくこの時季は遺体が痛むのも早い、 三蔵が俺に一言も告げず長安を発ったと悟った八戒がそうフォローするが、実際の処三蔵に対して怒るつもりは無かった。 何しろ三蔵は俺等が出会うよりずっと前から坊主なのだから仕方ない。
八戒の告げた街の名前は長安から見ると調度以前住んでいた咸陽を真ん中にする位の位置で、 長安からだと徒歩で丸一日は掛かる距離だった。八戒の言った日に長安を発ったとして、早くても今日か明日迄は帰っては来られないだろう。
「んで、お猿ちゃんは最近どーよ?」
「うまくやっているようですよ。悟空は人に好かれやすいタイプですし」
「そっか」
実際の処悟空は職場でトラブルがあったとしてもそれを自分から八戒にこぼしたりはしないだろうが。 自分の手に負えないと思った時は素直に人の助けを借りるが、あれで悟空は結構しっかりしているのでそう容易くは人に頼らない。
「お前の方は?」
「そうですねえ。子供達に勉強教えるのも久し振りなんで最初は緊張しましたが最近子供達もなついてくれて」
そう言って教え子の顔でも思い出したのか柔らかく笑ったのを見れば順調に行っているのだろうと分かった。
「そう言えば三蔵はお寺でお坊さん達に天竺語を教えているじゃないですか。時々発音や解釈を尋ねに来るんですよ」
「そうなの?」
「ええ、知りませんでしたか?」
「初耳」
引っ越した後も相も変わらず寺へ通っている三蔵がそんな事をしていた事も、八戒の家に来ていると言う事も知らされていなかった。
「まあ悟浄は天竺語をハナから覚える気がなさそうでしたからね。 悟浄に尋ねてもどうしようもないと思ったから黙ってたんでしょう」
笑顔で言われるが何だかチクリと刺された気がする。・・・嫌味なのか?
「でも俺が天竺語覚えなくたって実際支障なかったじゃん」
頭の後ろで手を組んで反っくり返って答える。
語学留学っつう訳でもねえのに他に話せる奴らが居るんだったら俺が必死こいて異国語を覚える必要はないだろうが。
「確かにそうでしたけどね」
「つうかさ、覚えてどうすんの。まさかそいつら天竺に行く気?」
「さあ・・・」
「どうやって行くんだ?歩き?馬車?」
「自転車ですかね」
「ぶ・・・っ」
ちゃりちゃりと、僧衣を翻して自転車で疾走する坊主の集団を想像して盛大に吹き出す。



「んじゃ、邪魔したな」
「悟浄」
ひとしきり笑った後コーヒーを飲み干して立ち上がると椅子に座った侭の八戒が深刻そうな声で呼び止める。
「ナニよ」
「三蔵の事、気を付けてあげて下さいね。この間来た時だって寝不足のようでしたし、顔色もあまり良くありませんでしたから」
心配そうに言われて思わずきょとんとする。
・・・そう・・・だったっけ?
「あー、分かった。なるべく気ぃ付けるわ」
正直、三蔵の顔色が悪かったと言う記憶は無かったが取り敢えずそう答えた。
毎日顔付き合わせているから分からないのかねえ、八戒の家を出て煙草を銜えながらそう思う。 自分が鈍感だとは思わないが八戒は旅の間も余り自分の身体を省みない三蔵の事をそれとなく気を配っていた。 その八戒が言うのだから本当なのだろう。
そんなに具合が悪そうだっただろうかと思い出そうとするがここ最近の記憶・・・ってアレ? 三蔵が帰って来なくなった日一瞬ちらっと見たのが最後で、その前は前の日の夜メシ喰いながら顔付き合わせてた時で、 その前・・・は確か三蔵が朝早いとかで顔を見た記憶が無いような。ええと、じゃあその前は・・・。
その時の三蔵の顔色は?頬がこけてたりしてたか?
思い出そうとしても脳裏に浮かぶのはどのシーンの三蔵もここ最近の記憶よりも前、長安の寺院で遭った頃、或いは旅に出ていた間の顔だった。
一緒に暮らし始めてからの三蔵の表情が殆ど記憶に無い。 思い出せる程ちゃんと三蔵の顔を見ていなかった事に気が付いた。
「マジですか・・・」






の続き。

悟浄さんてレシピの無い創作料理(と言うと聞こえは良い)とか作りそうじゃないですか。合言葉は「ま、こんなもんかな」。 出来上がったものが当初作る予定だったものと違っている事もしばしば。

還るべき場所に続く。



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