信仰 2




読経の声は途切れる事無く続いていたが、堂内に発する妖気に空気が歪んだ。
「玄奘三蔵、覚悟ッ!」
人間にはあり得ない跳躍力でタン、と軽く床板を蹴って一気に壇上まで跳んだ妖怪の姿に堂内の静寂が乱れる。
「三蔵ッ!」
恐らく講堂に入った時は妖力制御装置の力を借りて人間の姿をしていたのであろうその妖怪が腕を振りかぶるのに、 間に合う訳ないと思いながら通路を一気に駆け抜ける。
然し三蔵は銃を取り出す事も無く振り下ろされた腕を足を半歩引いただけで避ける。 カラン、と高い音を立てて金冠が転がり落ちるのと同時に体勢を崩した妖怪に向けて肘を跳ね上げ顎に一撃くれ次いで腹に拳を打ち込む。
重い音と共に一体目の妖怪の体が床に沈むと三蔵の背後からもう一体、 今度は武器を持ったヤツが襲い掛かって来たが三蔵はその刃物をギリギリで、 つまり際どいように見えるが動きを最低限に抑えて体力を温存する、 見慣れた動作で交わすと何時の間にか取り出していた銃の台尻でそいつの額を殴り飛ばした。 腕を振り回した遠心力を利用して半身を回転させると今正に襲い掛かろうとしていた3体目の妖怪の頭部を肘で打って下げ、 勢いで下を向いたそいつの顔面に膝蹴りを入れた。 殆ど立ち位置を変える事も無く、 まるで踏み込む手順が予め決められている殺陣(たて)をこなしているかの如く三蔵は一つの動作を次の動作に繋げて流れるような無駄の無い戦い方をする。
妖怪達の姿は全部で六体。大した数じゃあない。 壇上の坊主達は顔色を無くし隅に寄りそって震えているがその方が都合が良かった。 折角周りの人間達に目をくれてもいないのにヘタに抵抗して刺激したら逆上したヤツらが何をするか分からないからだ。 これだけの数の人間が集まっている場所で妖怪達がその尖った爪の切っ先を向ける相手をただの人間達へと変えたら流石に怪我人の一人も出さず事を片付けられる自信は無かった。
妖怪達の動向を窺いながら堂内にざっと視線を走らせるがどうやら他に仲間はいないようだった。 鈍い音に再び壇上に目を遣る。倒れながらも伸ばした妖怪の腕先を三蔵が容赦なく踏み付けていた。 苦悶の悲鳴が上がり三蔵の足の下でその腕が折れた事が分かった。
狙われているのは三蔵一人だ。三蔵ただ一人のみが、妖怪の襲撃のまっただ中にいた。
壇上に上がろうとしていた最後の一体を錫杖を召還して鎖で雁字搦めにしてやると三蔵はこちらを振り返り 「余計な事をするな」と言いたげに口元を歪めた。
余計な手出しと自分でも分かっちゃいたが三蔵様だけに大活躍されたんじゃ俺の立つ瀬がナイっしょ。
錫杖を引いて鎖に縛り上げられたヤツを床に引き倒しながら三蔵に笑ってみせる。



「三蔵様」
青冷めて見ているだけだった坊主共が恐る恐る三蔵に近寄って来る頃には、 堂内を埋め尽くしていた民衆達は口々に恐怖の叫び声を上げながら出口に殺到していた。
「避難の誘導を」
壇上から人々が戸口へ駆け寄る様を見ていた三蔵が坊主達に短く指示を出す。 民衆を落ち着かせて法会を再開させる必要は無いと、或いは無理だと三蔵は判断したようだった。
異変が収束したとは言っても大抵の人間は未だに妖怪への畏れを忘れずにいる、 然しその「恐ろしい」筈の妖怪を片付けてくれた、謂わば「救い主」である三蔵をも、 妖怪を易々と退けた事で逆に坊主達が畏れたのは端で見ていても分かった。 言葉を理解出来ないかのようにその場でオタオタしている坊主達の畏怖の目を気にも留めず、 三蔵が再度鋭い口調で指示を繰り返すと坊主達が慌てて大声で全ての扉を開放するよう告げてまわる。
大扉だけでなく引き戸までもが次々と開け放たれるが戸が少し開くとどどど、 と重く鈍く床板を鳴らして慌てきった民衆が一気に押し寄せて来るのに圧されて皮肉にも扉が容易く開かなくなっているようで、 扉付近の混雑は酷いと言うよりは醜いまでの様相を呈していた。 力の無い者が大柄な体躯の持ち主に駒のようにはじき飛ばされているのを見て眉を顰めた時、 ばたん、と鈍い然し大袈裟な程に大きい音がして引き戸の数枚がはじけるように廊下側へと倒れて行った。 圧力に負けて扉が外れたらしい。突如広くなった出口から人々が勢いをつけて流れるように外へまろび出る。

「三蔵様、その者達は如何いたしますか」
「衛兵を呼べ」
足下に何時意識を取り戻すか分からない妖怪が転がった状態では近寄る事も出来ないのだろう、 人波に逆らって僧衣をよれよれにしながらも漸く三蔵の元へと辿り着いた側附きの坊主が及び腰で少し引いた場所から三蔵に指示を仰ぐ。
「俺と悟浄がこいつらを見張っている」
怯えたような坊主の顔付きに気が付いたように三蔵が付け足す。
「は、はい」
慌てて返事をした坊主が先程抜け出して来たばかりの人混みの中へと駆け出して行ったが大扉付近では民衆の誘導が上手く行っていないらしく、 あの細っこい坊主がこの大講堂を出られるのは、 ひいては寺を出てこの長安を護る衛兵を呼びに行けるのは何時になるのかは分からなかった。
「おい・・・」
「クソ、この人殺しめ!殺すなら殺せッ!」
三蔵に話し掛けた時に錫杖の鎖に搦め取られた侭の妖怪が転がった床から顔だけ起こして怒鳴った。
「何が三蔵法師だ、俺の兄はお前に・・・ッ」
面白くもなさそうな顔で三蔵は話を皆まで聞いてやる事も無く銃でそいつのこめかみを殴り付けた。 ガツッと言う鈍い音に離れた所に居並ぶ年嵩の坊主共が身を竦める。
「他のヤツらと纏めて括っとけ」
そいつが意識を失ったか確かめもせず三蔵が告げる。 床に転がっている他の妖怪を一カ所に集める手伝いは当然してくれるつもりはないらしい。 ちらと坊主共を振り返ってみても手伝う意思が無いどころか、 その場から動く事も出来そうにないので仕方なしに肉体労働を一手に引き受ける。 紐を持ってくると言う気の利いた事をしてくれるヤツもいなかったので六人纏めて鎖で一括りにする。 三蔵は黙って腕を組んだ侭突っ立っていたがふと気が付いたように床に落ちていた妖力制御装置を拾い上げ、 気絶している妖怪達に無造作にそれを装着させていく。

パニック状態になっていた人民もあらかたは避難を終え (とは言っても恐らく今度は講堂の外で皆がもみくちゃになっているに違いない)、 皆が出口に向かった時にタイミングを逸したのかもみくちゃにされるのを良かれと思わなかったのか(賢明な判断だ)、 年寄り連中を筆頭に堂内には若干の一般人が残っていた。 気絶した妖怪達の他はほぼ寺院関係者しか居なくなった事に気付き居心地悪そうに立ち上がる者、 促されて尚「三蔵様をこの目で見る為にわざわざ来たんだ」と身内だと思われる相手にごねる者。 この状態で、三蔵が何の躊躇いも無く妖怪を叩きのめすのを見てそんな事言ってられるんだから大したもんだ、 とこっそり苦笑しながら三蔵の方を伺うと、 そんな会話は聞こえていないかの様にいつも通りの無表情で黙々と作業を続けていた。
「何やってんの」
本人の意識の無い時でも制御装置を装着すると妖怪の特徴である長い尖った耳が小さな人間の形のそれへと変化するもんなんだな、 と感心しながら三蔵に尋ねる。
「目を覚ました時面倒だからな」
この長安を護る事を生業としている金吾衛──警備の衛兵だ── であれば制御装置の外れている状態の妖怪達が意識を取り戻した時暴れ出したとしても無碍にはやられないとは思うが、 確かにそれも何処までアテに出来るか分からない。
「ああ、そっか・・・トコロでさ」
「何だ」
「あんたその腕・・・」
言って手を伸ばすと案の定払い退けられそうになるがそんな事は予想していたので難なく腕を掴み取る。
「どうしたんだよそれ」
掴んだ右腕を三蔵の肩の位置より高く上げさせると着物の袖が重力に従い下方へとずり落ち三蔵の腕に巻かれた包帯が顕わになった。 先程三蔵が妖怪を殴り付けた時に袖が翻ってその白い色が視界にちらついたのだ。 いつもの三蔵法師の正装であれば腕には長い手甲が嵌められているので気が付く事も無かったであろうそれに、俺は見覚えが無かった。
「大した事はねえ」
「傷の具合訊いてんじゃねえの、どうしたんだって訊いてんだよ」
睨み上げながら三蔵が腕を振り解こうとするので捻り上げるように腕を掴む手に力を込める。
「うるせえ」
「沙悟浄、貴様が付いていながら・・・っ」
「ああ?」
背後から大声で名を呼ばれ振り返る。
「貴様は三蔵様の護衛であろうがっ!それを三蔵様にお怪我をさせるとは何事だ!」
「ナニゴトって・・・」
いかつい四角い顔の色黒の坊主が口元を震わせながら言葉を続けるのに眉を顰める。 確か三蔵は寺を出る時に俺が護衛として附いているからと、そう言う事にしたと言っていた。 それ位の事を言わなければ尊い三蔵法師様が一人で寺を出るなど到底赦される筈も無かっただろう事は俺にも分かる。
そして三蔵のこの腕は家で普通に怪我をしたとかそういうものではなく、 ましてや家に今しがたのように三蔵に恨みを持つ者が襲い掛かって来たとかそう言う事も無かった。
「三蔵、もしかしてさ」
「手を離せ」
後ろの方で未だ坊主が何事か煩く言っているが無視して口を開くと言葉を遮るように三蔵が鋭く言い俺は手に込めた力を緩めた。
「何時だ?昨日?一昨日?」
「黙れ」
言いながら三蔵が腕を降ろすと長い着物の袖で自然に腕の包帯が隠れた。 その仕草に三蔵がこうして狙われたのは今日が初めてでは無く、俺に言わなかっただけで今迄にもこんな事が何度かあったのだと気が付いた。 恐らくは寺と家との往復の間に。 昨夜その膚に唇を這わそうとした俺がハリセン連打を喰らったのはこの怪我を見せない為だったのだろう、 つまりこの怪我は直近に出来たものだ。
「・・・あんたさ」
身の裡に不快な感情が沸き起こるのを自覚しつつ眉間に力を入れ息を吐き出しながら口を開く、が。
「三蔵様ッ!」
何と続く筈だったか自分でも分からなかった言葉は三蔵附きの坊主の声で遮られた。 声の方へと顔を向けてみればその背後には制服姿の複数の金吾衛の姿があった。
「・・・随分早かったな」
思わずぽかんと口を開ける。
「警護として喚んであったからな」
「・・・え?」
「今日の人出は寺でも予想していた。だから何かあった時の為に手配しておいた」
それはつまり、寺の坊主共が用心しただけではなく三蔵も何かあるかも知れないと承知していたと言う事で。 寺を出た事で日夜付け狙われていた事も、 今日の法会で暴徒に襲い掛かられるかも知れない事も何故三蔵は俺に教えてくれなかったのかと奥歯をぎりと噛み締めた。 それどころか一人で八戒の家に行っていろとまで言われたのだ俺は。
「随分と手回しの良い事で」
「全くだ」
「え・・・?」
皮肉を含んで告げた筈の言葉は容易に同意を得、訝しく思って隣を見れば既に三蔵は一歩前に出て衛兵との事務手続きの話に入っていた。






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