観覧車
「前にさ、ザウスで働いてた友達の話したろ?」
そう言いながら悟浄がごそごそと取り出したチケット。
少し前に廃止になった○らぽーとスキードームザウス、と言う人工積雪ドームで悟浄の友人が働いていた事は聞いていた。
まさか今更ザウスの割引券とか言う訳でもないだろうが、そう思っていると悟浄が続けた。
「そいつ暫くフリーターやってたんだけど今度就職決まってさ。チケット貰ったから行かねえ?」
言葉の上では誘いかけだがその実悟浄の中ではそれは既に決定事項になっている事が伺い知れる。
妙に光沢のある紙に印刷された賑やかしい写真入りのチケットに一瞥を呉れる。ご丁寧に二枚ある。
「・・・そんなもん悟空と行け」
そう言ったらむっとしたように唇を尖らせた。
この絶対的なまでの図々しさは自分には無いもので、そうやって振り回されるのが時として愉快だが時として不愉快でもある。
チケットを見た時に厭な感じがしたのだ。その厭な感じが何なのかまでは分からなかったが。
ガキでもあるまいしそもそも男二人で何処に行こうと言うのか。
ガキのような悟浄に呆れる気持ちと拗ねたガキのような顔の悟浄を甘やかしてやりたいと思う気持ちの綱引きは、結局後者が勝った。
好きこのんでこんなモノに乗りたがるヤツ等の気持ちが分からない。
そう思ったがこんなモノが好きな奴は結構多いらしく悟浄と二人、仕方なく長い列に並んで時折頭上を見上げながら待った。
日はとっくに暮れたと言うのに降る程に光を落とし地上を照らし出すライトが眩しい。
漸く順番が来て二人きりで向かい合いに座るが早いか係員が外側から鍵を掛けるのを見るつもりは無かったが視界に留めてしまった。
がしゃんと鍵の掛かる音を聞いたら心臓が身体の中で突然自己主張をするかのようにその存在が意識に浮上して来た。
振動はあまり感じないが少しづつ、後戻りの出来ない場所へと上昇していく容れモノ。
硝子窓に頬を押し付けんばかりに外をじっと見ている悟浄は二人きりでいるというのに珍しく何も話し掛けて来ない。
だがそれは却って好都合だった。今何か話し掛けられても碌な受け答えは出来そうに無かった。
頭のてっぺんから急激に血の気が引いていくように視覚、聴覚、とにかく全ての感覚が急速に遠いものになって行く。
口の端を軽く上げて笑みを浮かべた悟浄の見ている硝子の外の風景は俺の目には入らない。
出来る事なら逆走してでも今すぐ地上へ戻りたい。
それが出来ないのなら早く一周が終わって欲しい。
それさえも叶わないのならせめて早く頂上へ辿り着いて欲しい。一番高い処へ辿り着いてしまえば後は地上へ向かうだけだ。
そう、念じていると悟浄が顔をこちらに向けた。
床板を眺めていても気分が悪くなりそうだったので一応顔を上げて悟浄の背後の窓越しの景色を見る振りで視線を合わせないようにしていたのだが。
「もしかして三蔵高い処苦手?」
「別に」
視線を合わせない侭答える。
俺に構うな。お前は俺の後ろの夜景だけ見ていれば良いから。
「だって真っ青じゃん」
「暗いからそう見えるだけだ」
そう答えている間も実は胃の中がぐるぐると吐き気が込み上げて来ているのだが。
「手、冷たい。つーか汗かいてる」
突然手を差し出して来て俺の手を握り締めた悟浄が驚いた声を出す。
「高い処駄目なんだ・・・?」
そう言った悟浄が手を離さないでいてくれる事で少し、本当に少しだけだが落ち着いた。
繋いだ箇所から悟浄の手の温かさが伝わって来る。
「違う・・・狭くて」
「ん?」
「狭くて、鍵が掛かってて、・・・」
言葉に出してみて初めて自分が怖がっている事に気が付いた。
そして、自分が何に怯えているのかも分かった。
覚えてもいない赤ん坊の時の記憶。
今の自分だったらどう間違っても入りきれる大きさなどではない駅のコインロッカー。
言葉も話せない、自分で歩く事も出来ない赤ん坊の頃に俺はその手荷物程度しか入らない小さな金属の箱に捨てられていたのだ。
狭くて真っ暗闇の箱は目も碌に見えていなかった筈の自分の原風景。
「三蔵。ちょっと揺れるかもしんねえけどそっち行って良い?」
それがどうかしたのかと尋ねる事も無く言いながら悟浄は既に腰を浮かしかけているので慌てて首を振る。
「駄目、だ」
自分のものとは思えない程細い、ひょろひょろとした声が出た。
「お前の顔が見える方が良い」
浅く呼吸してからそう言うと悟浄は再び椅子に腰を戻したが代わりに上半身をぐっと乗り出して顔を近付けて手を握る力を強めた。
これではまるで「お前も外を見ないで俺を見ていろ」と言ったようだったと気が付いた。
「俺だけ見てて」
赤い瞳は視線を逸らさずに俺を正面から見据え、両手で力の入らない手を握り締められた。
「本当の、産みの母親が生きていた頃、俺はおふくろと二人暮らしだったんだ。
父親とはその頃会った事も無くて遊園地行くのもいつもおふくろと二人きりで。
観覧車って二人で乗って一緒に景色見るのも良いけど下で待ってる誰かに手を振んのも楽しいんだぜ?
勿論こんなでっかいヤツじゃなくて普通の遊園地にあるもっと低いヤツだったけど。
だけどおふくろと乗ってると下で手を振ってくれる人はいないし、おふくろが下で手を振ってくれる時は一人で乗ってなきゃいけないしでさ。
弟がいたら良いな、ってガキの頃はずっと思ってた。親父の家に引き取られてみたら実際居たのは兄貴だったんだけど」
やっぱり悟空も連れて来れば良かったな、そう言って悟浄は笑った。
相変わらず俺はこの「箱」から気を逸らすのに必死で何を言う事も出来なかったが。
「あ」
不意に悟浄がはしゃいだ声を上げて硝子の向こうの夜景を見る。
「あれ、チケットくれたヤツのいる会社」
つられて悟浄の視線の先を追う。
「何処だ?」
「あれ。あの上が明るい」
「あの背の高い」
「そっちじゃなくて」
相変わらず手は繋いだ侭二人して硝子に邪魔されながら外の景色を指差す。
「そう、それ」
「・・・ここで働いてるんじゃないのか?」
「いや、会社でこのチケット貰ったんだって言ってた」
「そうか」
本当は景色なんかまともに見えてはいなかったが何とか必死に話を合わせる。緊張の糸が切れたら気を失ってしまいそうだった。
何とか会話を続けるうちに地上が近付いて来た。
現金なものでもうじき降りられると思った途端今までの気分の悪さが多少和らいだ。
自分がかなり緊張していたのだと強張った躰を意識しながら気が付いた。
「だいじょぶか?」
「ああ」
尋ねられると気が緩んだ所為か不自然に顔が引きつってどうやら自分は今笑っているらしいと言う事が分かったがどんな情けないツラを晒しているのかと思うと我ながら死にたくなった。
そして折角の観覧車なのにこんなヤツと一緒に乗ったんじゃ悟浄も少しも楽しい事は無かっただろうと思うと酷く気が滅入った。
「降りるまでこうやって手、握ってて良い?」
不安な俺の気持ちを拾い上げてではなく、自分がそうしたいからしているのだと言う振りをしてくれる悟浄の優しさは生来のものなのか、
それとも短い間だけでも実の親に愛されて育った者にしか持ち得ないものなのか。
握られた手に逆に力を込めて握り返す。
そっと唇を寄せながら目を閉じる瞬間視界に映った夜景は美しかった。