花満天 3




人が住んでいなくとも、扉も窓も閉め切った侭でいても何処からか入り込んだ埃が舞い積もるものらしい。 穏やかな春の日差しに温もっている外気と違い冷え切った室内。 長期の留守にも関わらず奇跡的に泥棒に入られる事もなかったらしく埃の積もった床の上には人の足跡らしい形跡は残っていなかった。
「先ずは買い物に行かないといけませんね。冷蔵庫は空ですし」
馴染みの八百屋夫婦や魚屋の店主の顔を思い浮かべながら言う。今日の夕飯は何にしようか? 悟浄の好きなものでも作ろうか。調味料も賞味期限が切れてしまっているだろうから買い直さなくては。
「つーか電気も水道も止まってるって」
「・・・ああ、そう言えば」
言われ、旅に出る前に電気と水道を止める手続きをした事を思い出した。
「しょーがねえな。とっとと手続きして来て電気と水道来る迄宿住まいするか」
「それしかないでしょうね」
旅が終わったと思ったのに旅の途中のように宿住まいかと苦笑すれば同じように小さく笑いながら悟浄は無造作に床に荷物を投げ出した。
「悟浄。床は埃だらけですから・・・」
「何処も同じだって」
言いながら悟浄がずかずかと室内に脚を進めるのに倣って室内に入り点検すれば椅子にもテーブルの上にも薄く埃が積もっていた。
「・・・三仏神からのご褒美って今すぐ貰えませんかね」
人差し指でテーブルの埃をすいと払うと指の通った後に綺麗に線が残った。 ずっと片手に持っていた郵便受けに溢れていたDMをその上に置くと乱暴に投げ出したつもりはなかったのにふあと埃が微かに舞い上がりつい溜息が出てしまう。
「何お願いするか決まったのか?」
「現金ですよ。宿に泊まる為の」
勿論旅の間現金を持ち歩いていなかった訳では無かったし馴染みの町に戻って来たのだから貯金だって引き出せるのだが。
「イヤ、この際ココまでは必要経費で落ちるんじゃねえの?」
ちらとテーブルの上の灰皿を目で確認してから悟浄が煙草を取り出す。
三仏神のカードは返却したと先程三蔵が言っていたがこんな事になると知っていたら三蔵には渡さなかったものを。 そう考えてふと気が付いた。
そうだ、三蔵達は今日いきなり戻ってもお寺のお坊さん達が部屋の用意をしてくれているのだ。
「・・・三蔵達の所に行きますか?あれだけ大きいお寺だったらきっと部屋も余ってるでしょうし」
「あ?」
「僕達は三蔵と一緒に天竺迄行って来た訳ですから今なら多少無理を言っても通ると思いますよ」
だからと言っていきなり恭しく扱われるとは露程も期待してはいないのだが。 寧ろ元人間とは言え現在は妖怪の自分と、半分人間ではあるものの半分は妖怪である悟浄とが寺の僧侶達を差し置いて天竺行きの同行者に選ばれた事を快くは思われていないだろう。 しかも妖怪達が自我を取り戻した今となっても人間と妖怪との確執は未だに残った侭である事は旅の帰路に散々目にして来た。
もし先程三蔵達と一緒に寺院迄同行していたらどうなっていたのだろうか。まさか門前払いまでは喰らいはしなかっただろうが。
「ん〜・・・イヤ、俺は遠慮しとくわ」
天井に向かい白い煙を吐き出しながら悟浄はそう答えた。
「・・・そうですか。じゃあ先ず手続きを済ませてから宿を探しましょう」
住んでいる町で宿に泊まる事になるなんて、と苦笑しながら肩に止まったジープを撫でるとその白い生き物はピイ、と高く一声啼いた。







繁華街の中にあるその宿で宿泊手続きをしている間悟浄はフロントの顔見知りらしい女性と楽しげに話をしていた。 誰とでもすぐ打ち解ける悟浄は知り合いが多い。
「・・・あら。最近見なかったけどどうしたの?」
「ちょーっと長旅に出ててね。んで帰って来たは良いけど電気も水道も止まっててさ」
長身を折ってカウンタに片肘を乗せる悟浄の癖のような姿勢。 ああやって話すと普通に立った侭でいるよりも顔がより相手に近い位置になるのだ、 と言う事は置いておくとして決して行儀の良いポーズでは無いと言うのに悟浄がやると不思議とだらしない感じがしないどころかサマになっている。 多分自分が同じような姿勢を取ったとしてもああは見えないだろう。
「それはご愁傷様。じゃあ暫くウチに?」
「何時電気が来るか分からないんでそれまで連泊だけど部屋空いてるかな?」
「ええ、大丈夫よ。本当は宿泊をお断りする位混んでくれないと困るんだけどね」
「じゃ、暫く世話になるな」
「こちら部屋の鍵。どうぞお寛ぎ下さい」
投げかけられたウインクに、栗色の髪を緩くカールさせたその女性は営業用の笑顔で綺麗に笑った。





「そう言えば布団も長い事干してなかったからもう使えなくなっているかも知れませんね」
シャワーを使って埃を落としてから悟浄の部屋を訪ねると悟浄は上半身裸で濡れた髪をタオルでがしがしと拭いている所だった。
「かもじゃなくて確実にそうなんじゃねえの?ほら、以前どっかの村で・・・」
「そうでしたね」
旅の途中廃屋に泊まった時の事を言っているのだろう。 人が住まなくなって以来一度も陽に当てられた事のない布団はぺちゃんこに潰れていた上に冷たくて埃と黴の匂いがした。 この布団で眠ったら肺が真っ黒、ではなく真っ白になりそうだと思った事も覚えている。 恐らく自分達が旅に出た頃かその少し後に廃村となったであろう集落、 つまり同じだけの期間留守にしていた自分達の布団が、あれ程埃っぽい土地ではないにしろ無事であったとは期待出来ない状況だ。
「となると買い直さなくちゃいけませんね。これも必要経費で出して貰えると良いんですが」
悟浄にビールを取ってあげるつもりで冷蔵庫を開けると中は空だった。どうやら自分で買って来て中に仕舞うタイプだったらしい。
「・・・悟浄。ビールありませんけど」
「えっ?マジ!」
「空っぽです」
悟浄に中が見えるよう大きく扉を開いてみせる。
「あ〜・・・後でメシ食いに行った時買って来るか」
「買って来ましょうか?」
「いや、だったら自分で行くって」
「だって悟浄まだそんな格好してるじゃないですか」
そう言って腰掛けていたベッドから立ち上がり扉の方へ歩きかけると悟浄が制止した。
「あのさ八戒」
「はい」
呼ばれ振り返ると悟浄はこちらに背中を向けて裸足を気にする事もなくホテルの薄い絨毯の上を歩いている所だった。
「俺、長安に引っ越そうと思うんだ」
言って悟浄は先程迄僕が座っていたベッドの縁にぼすんと腰を下ろした。
「今の家どうするかは未だ決めてないし別に今直ぐって訳じゃねえけどさ。まあそのうち」
「・・・それは三蔵の為ですか?」
驚いたように悟浄は一瞬息を飲んだが口元を引き締めて喉元を僅かに上下させた以外には表面立った変化は見られなかったし 「どうして知っている」と尋ねる事も無かった。 隠しているつもりだったのかそれとも旅の間一度も三蔵との事を尋ねた事のなかった自分が今更口にした事に驚いたのか。
「そういう訳じゃねえよ」
1、2秒の沈黙の後くしゃりと笑みを歪めて髪を掻き上げながら悟浄が言った。
「三蔵と住むんじゃないんですか」
「三蔵サマが大人しく一緒に住んでくれるタマかっての」
悟浄、それは一緒に住むつもりだと答えたのと一緒です。
「悟空はどうするんですか?」
「あーもー、待ってくれよ・・・先刻も言ったけど未だ今の家どうするかだって決めてねえし、 悟空の事だってどうなるかなんて分かんねえって」
そう言いながら悟浄が心底困ったように深く溜息を吐くものだから面白くなった。
普段の細々と気の利く人当たりの良い部分を見ていると分かり難いが悟浄は本人が周りの人間にそう見せようとしている外見よりも昏い部分を抱えている。 本当は幼少期の傷を今も引きずっていて、へらへらと調子良く女の人をくどいては短い付き合いを繰り返してはいてもかなり切実に愛情に飢えているのだ。 その悟浄が決して愛情深いタイプでは無い、しかも同性である三蔵と所謂「お付き合い」 をしているだけでも驚きなのに将来の約束をした訳でも無いのに一方的に三蔵の住む長安へ引っ越して行くのだと言う。
それはまあ、三蔵はあの通りだから待っていただけでは進展は望めないと言うのも一因であるのだろうが。
本当は悟浄には紛い物であっても曲がりなりにも幸せな「家庭の愛情」を一度だけでも持った事のある自分辺りが積極的に「家庭の愛」 を押し付けてやれば簡単に靡くのではないだろうかと疑っている。それはもう、赤子の手を捻る程の事も無く。 ・・・あれ、首でしたっけ?でも首を捻ったら死んじゃいますよねえ・・・別に悟浄を殺そうと思っている訳ではないんですが。 勿論自分の悟浄への愛情は友人としての親しみであってそれ以上でもそれ以外のものでもないのだが。
三蔵だって悟浄とそういう関係になっている以上、まあ、 満更でも無いのだろうがそれにしたって三蔵が悟浄の求めているものを持っているとは自分には到底思えないのだ。 それなのに悟浄は何をわざわざ手の掛かる難しい相手との愛情に溺れて行こうとしているのか。
「未だ長安に越すって事以外決めてねえんだよホント・・・。 まあ長安だったらここより賑やかだから賭事で喰ってくのには困らないだろうケド」
そう言うとサイドテーブルの上に放り出してあった煙草を手に取った。
「それもそうですね。僕も長安に行こうかなあ」
ぽつりと言うと煙草をパッケージから取り出しかけた悟浄の手が止まった。
「あはは。違いますよ。お二人の愛の巣にお邪魔するつもりはありません。 実は僕も天竺から戻ったら何処かの塾か学校で働こうかと思ってたんですが長安だったら働き口に困らなさそうじゃないですか」
「・・・そうだな。じゃいっその二人ででかい家見付けて悟空のヤツも呼ぶってのはどうだ?」
ほっとしたように頬を弛めてからそんな事ちっとも本気では思ってなさそうな面白がるような笑みを浮かべて悟浄が言う。 と言うか愛の巣発言はあっさり流されちゃいましたねやっぱりなんだかんだ言って本当はそのつもりなんですね。
「うーん、それは本人達に聞いてみない事には何とも・・・」
一応付き合いで笑顔を浮かべてやるがここで自分がうっかり本気にでもしたらどうするつもりだったのか。 矢張り悟浄はお人好しだ。こんな人と三蔵と二人きりで生活なんか出来るんだろうか。何だか心配になってきた。
「お互い見付けた物件が近かったら一緒に住みましょうか?その方が安上がりですし」
「お、おう」
「・・・冗談ですよ。そんな情けない顔しないでください」
本当は「皆一緒」も悪くないかなと少しは思ったのだけれど悟浄の口の両端が下がったのでそう言ってあげる事にする。
「それにしても一体何時からですか?」
「え?ああ、まだ決めてねえけど・・・」
「違います。引っ越しの日の事じゃなくお二人のお付き合いがですよ」
わざと惚けているのか、そう思ったのだが悟浄が不意を突かれたようにぽかんと口を開けたのでそうではなかった事が分かった。
「旅が始まってからですよね?」
「あ・・・いやまあその」
畳みかけるように問うと悟浄は言葉に詰まりしどもどと答えた。
悟浄が色事に関する事で照れる処なんて初めて見た。 頬をうっすら赤く染める悟浄の姿なんて自分の見ているものが信じられない。 本当はこの悟浄は旅の間知らないうちにすり替わってしまった偽物で本物は自分達の預かり知らぬ処で実は未だに旅の空の下なのではないだろうか。 そう思えば今日のこの悟浄の饒舌さの理由も分かると言うものだ。
思わずまじまじと眺めてしまう。
「三蔵はそう言う事は疎そうなのに何ともない顔してたから最初は分かりませんでしたよ」
「ん?ああまあそうかもネ」
それとなく視線を外して世間話でもしているかのような軽い声を出そうとする、悟浄(推定)。
「悟浄が三蔵の事意識してたのは結構分かりやすかったですよ」
「うっそ!」
悟浄の返事を聞いてやっぱり部屋にビールが無くて良かったな、そう思った。 今ビールを飲んでいたら悟浄は間違いなく吹き出していただろう。
「だっていつも見てたじゃないですか三蔵の事」
「・・・マジで?」
「ええ、そうです。 だけど当の三蔵は全然気が付いてない素振りをしてたものですから三蔵は鈍いから悟浄も大変だろうな、って思ってたんですよ」
こんな事をぺらぺら喋ってしまうのは恐らく見慣れない悟浄の姿に自分も少なからず驚いているからなのだろう。
勘弁してくれよ、と言って悟浄は頭を抱えた。
これは矢張り照れてますか照れてるんですねしかも盛大に。
百戦錬磨(自称)の悟浄が本気の時は駆け引きも出来ず物欲しげな視線を隠す事も出来ず、 色恋沙汰に縁の無さそうな三蔵の方こそ気色を隠す事に長けていた、なんて全くこの人達ときたらつくづく面白い。
「悟浄。少し早いですけど食事に行きませんか」
「・・・そうだな」
堪える事が出来ずくすくすと笑い出しながら誘いかけると悟浄はがっくり肩を落としながら同意した。






戻る続く

背景はコブシ。



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