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花満天 9
人生の帳尻について考える事がある。 自分の一生についてだ。 本来であれば河に流された時点で死んでいてもおかしくなかった俺の出発点はマイナスだったがその後お師匠様に拾われた事でマイナスは帳消しになった、 どころか身に過ぎる程だった。 その後も何処ぞに養子に出される事も無くお師匠様の側近くに仕えさせていただいて、 仕上げとばかりに三蔵を継承した事でとっくに狂っていた俺の人生の帳尻は遂に臨界点を超えてしまった(としか思えない)。 師の形見を取り戻す事の出来ぬ侭費やしたもどかしい歳月はそれ迄が順調に過ぎた俺の人生のバランスを考えてみれば当然の事だったのだ。 だが然し数え切れない程の人間と妖怪を殺した後経文をこの手に取り戻した俺の人生は再び壊れたパチンコ台のように異常なまでのフィーバーを迎える。 経文を取り戻す為に流した血の事を敢えて気に留める事もせず呑気に 「妖怪を退治して下さった」と言い張る見ず知らずの他人に崇められ高みへと祭り上げられた。 とは言え所詮壊れた台の仕業だ、直ぐ様過ぎた熱狂はバランスを取らんばかりにマイナスに揺り戻す。 例えばこんな風に。 「玄奘三蔵、死ねっ!」 所用で出掛け寺へ戻る途中の夜道であの異変以来迫害されナリを潜めている筈のこのご時世にしては大したもんだと思う程度には結集した妖怪達に囲まれていた。 あの西行きの旅の後、妖怪達は自我を取り戻した筈だからこいつらが俺を襲っているのはつまり、こいつらの自由意思に依る。 「・・・の仇!」 振りかぶられた刃を避けながら知るか、と思う。 大体本当にその仇とやらを殺したのが俺なのかどうかだって怪しいもんだ。 何処か遠くの、或いは近くの町や村で妖怪が自我を失い人間を襲ったとの話が届いた後は必ず何処かしらで自衛策だとばかりに正気を保っている妖怪も人間にさんざ殺された。 人間より腕力も膂力も勝っている妖怪達が「本性を著してからでは遅きに失する」と、そう言う理屈の下で。 中には最期まで無抵抗を貫き通した侭に撲殺された妖怪もあったと聞く。 手を掛けた筈の当の人間達はその事を綺麗さっぱり忘れ去って自分達をただの被害者だと思っているが理不尽に迫害を受けた妖怪達はその恨みを忘れはしない。 当たり前だ。この桃源郷に住む人間以外のモノならば聞けば納得するであろうその理屈を、受け入れていないのは人間のみであった。 西域から長安へと戻って来てみれば何時の間にか俺は人民に依り「妖怪の魔手から桃源郷を救った者」と称されていた。 そして生き残った、正気を取り戻した妖怪達からは「全ての妖怪の敵」と。 尤も実際一度も殺されてやった訳でもなく代わりに数えきれない程の数の妖怪を殺したのは事実だ。 「く・・・っ!死ね!」 死を畏れないがむしゃらさで食い下がって来る奴と言うのは頭に血が昇っていて動きが滅茶苦茶だ。 然しその一途さは時として非常に厄介でもある。 「!」 力任せに切り込んで来た刃の思いがけない力強さに刃先を受け流し損ない銃が手元からはじき飛ばされた。 同士討ちを恐れず四方から一時に襲いかかって来るのを脚を引いて体を交わしながら、 背中を丸め前屈みに踏み込んで来たヤツの頭部に肘を打ち降ろす。 俺が身を引いた事で空いた空間に勢い良く突っ込んで来てたたらを踏むヤツの腕を掴みながら腹を膝で蹴り上げる。 新たに斬り込んで来る刃先にその身を突き出し盾代わりにし、 青竜刀を握るそいつの腕を捻り上げてその刀身を突っ込んで来たヤツの腹に突き入れる。 咄嗟に腹筋を引き締めて防御される事も出来ない戦い馴れていない腹が刃物で切り開かれ、 俺に腕を握られた侭の妖怪が慌てたように闇雲に刀身を引こうとすると無理な動きに傷口が大きくなる。 「ぎゃああっ!」 バカ共が、思った瞬間頽れる男の背後から飛び出して来たもう一人の繰り出した刃先を避け損ないざくりと法衣の袖が裂け勢い余って刃物が肉を裂く。 然し大した傷ではない。腱を傷付ける事も無い一撃に、 それでも刃物で他人を殺傷したのは生まれて初めてだったらしいその妖怪の瞳に動揺が走る。 がたがたと手を震わせるそいつを思い切り良く蹴り倒しながら面倒くせえな、と思う。 他人を殺したいと思った事など人生初だったらしいその妖怪が飛び散る血飛沫に驚いたように口を開き動きを止めるのを見て薄く嗤う。 あの異変の折「凶暴な妖怪達が本性を現した」、 人間側からはそう言われていたが本来であれば暴力とは無縁な温厚な妖怪も数多くいたのだ。 潜在的な能力を強制的に開放させられていただけで、元来全ての妖怪が手当たり次第に人間を引き裂き喰らう訳ではなかった。 こいつもそういった温和な一人だったのだろう、永きに亘り殺生を重ねて来た俺と違って。 殺傷と縁遠かった筈のヤツらの手にまでエモノを握らせるまでに憎しみを一身に引き受けている自分と言うものを想う。 こんな人生などもう終わりにしても良いのだと、そんなにまで死を望まれているのだったらいっそ死んでしまえと 薄暗く思う自身とは裏腹に短く真言を唱え一息に魔天経文の力を開放する自分がいる。 恍惚とも言える表情を浮かべ経文の巻き起こす光の渦に呑み込まれ徐々に実体を喪って行く妖怪達の姿を見て、 いっそ俺もこの光の中に融けてしまえば良いのにと思うが「闇を砕く」 力を持つ魔天経文の力はその身にどんな昏い感情を湛えていようとも人間を「魔」とは認識せず、 当然の如く俺に経文の力の及ぶ事は無く、 妖怪達の手にしていた様々なエモノだけが置き土産のように転がった侭の大通りに最後に立っていたのは俺一人だった。 身を屈めて銃を拾い現場を振り返る事も無く歩き出した。 裂けた侭の袖をぶらぶらさせながら寺に戻ると目敏い坊主共がぎゃあぎゃあ騒いだが無視して真っ直ぐに私室へ戻った。 「おかえり、三蔵」 あの西への旅から戻った後小さいながら俺の私室と隣続きの部屋を貰った悟空が速攻で顔を出す。 「三蔵、血の匂いがする」 「少しな」 破けた法衣の有様に依ってではなく匂いで怪我を察する辺り動物だなこいつは、内心で思いながら法衣を脱ぎ捨てると頼みもしないのに悟空は救急箱を差し出した。 怪我をする度に医務室に行くと坊主達があれこれ喧しいので自分用の応急セットをぶん取って来たのは最近の事だった。 仕方なしに蓋を開けて包帯を取り出しその侭傷口の上に巻こうとすると制止された。 「消毒しなくちゃダメだろ」 「うるせえ」 「ダメだって。ばい菌入ったら化膿するだろ」 「腕の一本や二本化膿したってどうって事はねえよ」 「何言ってんだよ。腕は二本しかないだろっ!」 生意気にもそう言い返すと悟空は消毒液を取り出して強引に手当を始めた。思ったより傷が深かったようで消毒液が染みた(畜生)。 サルに説教されて怪我の手当をされているなんて自分で自分が信じられん。 よりによってバカ猿に。ほんの半日放ったらかしにして出掛けただけで大騒ぎして自ら金鈷をブチ壊してハナミズ垂らしてびーびー泣いてたあの猿に。 「出来たよ」 「・・・ああ」 目の前で屈み込んでいた悟空が顔を上げると金色のでかい目とばっちり視線が合った。 その顔は西への旅に出る前の幼さの残るものではなくて、もう大人のものだった。 嘗て大福のようにぽよぽよしていた頬は何時の間にか丸さを失くしておりせわしなくきょときょとといつも忙しく動き回っていた瞳は落ち着いた色へと変わっていた。 短い手足も背も今はそれなりに伸びて丸みを帯びていた筈の指も知らないうちに骨張ったものになっていた。 違う。俺が知らなかっただけで、俺が見ようとしなかっただけで、悟空はもうガキじゃなくなってたんだと突然気が付いた。 「何?」 「いや・・・」 知らず凝っと見つめていた悟空の顔から身を遠ざける。少し気まずく思いながら無言で衣服を整える。 「あーあ、三蔵は結構うっかりした所があるから心配だな」 ぱたんと音を立てて救急箱の蓋を閉め、悟空が立ち上がった。 バカ猿に心配される程落ちちゃいねえよ。 戸棚に救急箱を仕舞うサルの背中を睨み付ける。 「俺がいなくなっても無茶すんなよ」 何だまるで保護者のような口をききやがって。本当に小生意気になったものだ。何が「俺がいなくなっても」だ。 てめえがいなくなる位の事で心配されてたまるか。 てめえがいなくたって。 ・・・『俺がいなくなっても?』 「・・・悟空?」 問い掛ける視線の先、悟空が振り返る。 「三蔵。俺、寺を出るよ」 元々身の回りの品など数える程しか持っていなかった悟空が寺を出ると宣言してから実行に移すまではあっと言う間だった。 驚いたと言えば驚いたが俺は一言たりとも悟空を引き留めるような言葉を発しはしなかった。 代わりに、窓を開けて夜空に紫煙を吐き出しながら思う。 「もう決めたんだ」と真っ直ぐ俺を見て言った金色の瞳を、「旅」の終わった後の事を見据えていた悟空の事を。 この街で人間だった頃と同じ職に再び就くのだと言う八戒の事を。 住み慣れた町を離れ長安に越して来た悟浄の事を。 旅の「終わり」は、「終わり」だと思っていた。 経文を取り戻す、それが俺にとっての「終わり」だった。それから先の事は考えた事などなかった。 その先があるのだと考えようもしなかった。 だが、旅が終わった事を「始まり」と考えていなかったのは、俺だけだったのだ。 ・・・情けねえの。 煙草を灰皿に押し付けて寝間着の侭窓枠を跨ぎ超え庭に降り立つ。 降り仰ぐ空に月は無かった。 戻る 花謝花飛花満天 紅消香断有誰憐 出典「紅楼夢」by薄幸の美少女 林黛玉でお送りしました。 33題「言葉」に続く。 novel |