花謝花飛 2
桃源郷の果てとも言われる西方天竺へと向かい旅を続けるうちに言葉が通じなくなって来た。
俺達のアタマがおかしくなった訳じゃあない。天竺の民の使用する言語は俺達のものとは違っていたのだ。
天竺国の勢力は西方では結構なものだったから天竺に入る随分前から見掛ける者皆が天竺語を話していた。
それでも最初は「東の言葉」を多少なりと解する者を見付け出しては用を足していたのだがそれが煩わしくなったのだろう、
何時の間にか三蔵は西の言葉の辞書を入手していた。
勿論三蔵のいつも読んでいる新聞もその頃には文字が縦書きの、今迄見掛けていたようなものは手に入らなくなっていた。
それなら何も無理して読まなくたって良いのにと思ったものだがそれでも三蔵は新聞を購入する事は止めず宿にチェックインした後は机の上に新聞を広げ辞書と首っ引きでゆっくりゆっくり、
字を覚え始めたばかりのガキのようにのたくたと読み進んでいた。
それが効を奏したのか、驚くべき短期間で三蔵は天竺語を話せるようになった。
飯屋に入った時いつもはメニューを選ぶのは他人任せの三蔵が悟空に「なー、コレ何?」
と訊かれ書かれている文字を元に何となく解釈して説明して行く。
が、何分異国の料理なので予想していたのと違う姿のものが出て来る事もあるがそれはソレ。
そんな三蔵の横で面白そうに字面を眺めていた八戒も今ではちょっとした会話程度なら天竺語で出来るようになった。
と言っても話が複雑になった場合は三蔵が話を引き取るのだが。
この長旅の間何度となく行われたチェックイン手続きでさえ面倒くさがって不機嫌そうなツラをして万事を八戒に任せっきりにしていた嘗ての三蔵と比べると信じられない姿だ。
サルはと言うと挨拶と料理の発音は覚えたようだがヤツには言葉の違いと言うのは余り関係無いらしい。
言葉も通じない侭それなりに行く先々でコミュニケーションを達成している。
俺はと言えば、三蔵と八戒が話せるんだったら別に俺も無理して覚える事は無いと思ったので必要最低限の言葉だけ覚えた。
「こんにちは」「俺」「おねえさん」「綺麗」などなどだ。
綺麗なお姉さんの口から出ると音楽のように心地良く響く異国の言葉も皺々の爺いの口から出ると酔っ払いがクダを巻いているようにしか聞こえない。
宿からそれ程遠くない処にある寺院に呼び立てられ茶の一杯も出される事無く黙って一つも意味の分からない坊さんの長口上を聞いていると悟空じゃないが退屈で尻の辺りがうずうずして落ち着かない。
って言うかサル、貧乏揺すりしてんじゃねーよ!てめえの仕業か!
カタカタカタ・・・
椅子の脚が床に当たって小さく音を立てる。
『やめろっつうのこのサル!』
『だってこのお堂暑ぃしあの爺さん話長いんだもん』
『だもんじゃねえだろ。とにかくよせバカザル』
『サルじゃねえっつってんだろエロ河童』
カタカタカタカタ・・・
『二人とも良い加減にして下さいねv(にっこり)』
『『ハイ・・・』』
ようよう爺さんの長話が終わると院内を案内された。
長安には俺達4人の両手両足の指を使って数えても尚余る数の仏教寺院があったがそれらのどれとも趣の違う寺だった。
然し至る処に描かれた釈尊図や飛天を見れば成程元は同じ宗教かと納得する。
最後に敷地の奥まった処にある黴臭い蔵経院へと導かれ相変わらず一つも意味の分からない仏教教典を見せられた。
三蔵の連れではあっても仏教徒ではない俺には取り敢えず古くて貴重なもんだろう、
程度の事しか分からなかったがその経典はいたく三蔵の興味を引いたらしく色々熱心に質問してたかと思うとその翌日から三蔵はその寺に通い始めた。
それはもう、それから毎日足繁く通っている。
「三蔵サマは何時まで此処に留まる気なのかね」
茶にミルクと砂糖を大量に投入した甘ったるいこの地独特の飲み物を煎れる八戒に尋ねる。
三蔵が先日の寺院に早朝に出向き日が暮れる頃帰って来ると言う事を繰り返している間俺達は時折出掛けたり宿でまったりしている、
と言うと聞こえは良いが要するにする事が無いので毎日ひたすらだらだらしている。
何と言っても昼日中外に出るのは暑いし建物の中にいれば涼しいのかと言うとそんな事はないのだが日差しが遮られる分外より多少マシだ。
最初の日に「三蔵を一人にしておく訳にはいかない」と一緒に寺に附いて行った悟空が「三蔵は一日何か読んでるだけだった」とすっかり退屈した様子で帰って来て以来寺に赴く三蔵に附いて行くのは一日交代制にする事にした。
今日は悟空の番だ。つまりあれからもう4日も経つ。
「まさか定住しちゃったりして・・・?」
「そんな訳じゃないと思いますが」
自分には甘いチャイを、俺にはアイスティーのカップを置いて八戒が答える。
肩に担いだ両天秤から下げた盆一杯にチャイを乗せたお茶売りが来る事もあるのだが、
天竺入りして日も浅いある雨の日にお茶売りが大雨がグラスに降り込んでいるのに蓋もしない侭平然と歩き続けて雨で薄くなったチャイを売っているのを見てしまって以来飲料を外で買う事は八戒によって禁じられた。
「恐らく、吠登城の残党がいないか確認してるんじゃないでしょうか。なにせあれだけ毎日大量に刺客が襲って来ていた訳ですから」
「ああ、成程・・・」
散々自分達に襲い掛かって来ていたあの刺客達も極一部の奴らを除いては洗脳状態にあったが故の事であるらしかった。
どうやらそれは桃源郷に於ける妖怪達の自我の喪失とも関わりがあったらしいが。
大元が居なくなりさえすれば万事解決、と言いたい処だが長期間に亘り大量に洗脳を仕掛けられていた妖怪達の中には簡単には自我を取り戻さないヤツもいるかも知れない。
或いは、強制されてでなくあくまで自分の意思で俺達を狙って来ていたヤツの生き残りがいるかも知れない。
同じ街に逗留し続けていればそれだけ敵(いたとしたらだが)も狙い易くなる。
ああ、なんだ。帰りたくないとかここに住んじまえとか思ってる訳ではなくやっぱり帰るのが前提なワケね。
ちょっと残念、なんて思ってから自分で驚く。
一体何が残念なんだ。こんな言葉も通じない異国から我が家にようやっと帰れると言うのに。
住み慣れた街を懐かしいだなんて思うセンチメンタルな感情は持ち合わせちゃいなかったが慣れた言葉慣れた習慣、
そして慣れた女の子達の居る国の方が余程良い筈だ。
何より男ばっかり4人での一年以上にもなる旅なんて早く終わった方が良いに決まってるのに。
「この侭帰らなかったら一生カードの金でタダ飯食えんのかね」
「多分口座を閉鎖されますよ」
冗談めかして言った俺の言葉は酷く現実的な八戒の一言に打ち砕かれた。