花謝花飛 3
桃源郷を襲った変異が敵の首魁を失った事で収まったのは本当であるらしかった。
残党がいないか念の為敵の根城近く、天竺に暫し留まり、ついでにその間旅の間に幾らか覚えていた天竺語をきちんと収得し、
天竺にしか無い仏教教典を手に入れ(三蔵が物欲しそうな目で見ていたら寺院の者から山のように貢がれた)、
それだけの間一度も妖怪の襲撃に遭わない事に変異の終結を確信し一路長安へと戻る事にした。
往路と違い妖怪の襲撃に遭い足止めを喰らう事は無いが来た時に通り過ぎた妖怪に襲われ廃墟と化していた村々には相変わらず人気が戻る事は無く、
恐らくその侭村人が戻る事無く朽ちて行くだけだろうと思われた。
人馬が行き交う事で辛うじて路として機能していた街道は通行する人間が絶えた事で黄塵に半ば呑み込まれるように消えかかっており往時には血臭も腐臭も残っていたその村は白骨が転がっていなければ過去に此処で惨事が起きたのだとは見ただけでは分からないであろう程嘗て人間が住んでいたと言う気配を失っていた。
この村が妖怪に襲われた時どれだけの人間が逃げおおせたのかそれとも村を復興するだけの人数が生き残る事は無かったのか。
或いは嘗ては共に暮らしていた妖怪達が制御を無くした時の力を目の当たりにして共存の道を捨て妖怪の戻って来る恐れのある村を放棄したのか。
桃源郷の穏やかな暮らしが表面的なものでしかない事は過去に狂った妖怪のみならず人間の野盗共に幾度も襲われた此の身を以て知っていた。
薄っぺらい皮一枚の下には「桃源郷」の名に相応しく無い、桃源郷の外の世界と同じような闇を内在している事を知っている。
一握りの妖怪と人間の歪んだ欲望を注がれるだけで崩れ落ちる安穏たる平穏。
長安への長い道行きの間これから先幾度もそれを見る事になるのだ。
びょうと風が吹くと黄色い砂埃が舞い上がった。
長安が酷く遠く感じる。
「や・・・っ、あ、うあ・・・」
まるで女の出すような甘ったるい声を吐き出しながら頸を反らして蜘蛛の巣の張った天井を仰いだ。
鉄錆を含んだ水をちょろちょろと流す水道は根気強く待っていると奇跡的に澄んだ水を流し始めたのでその廃村で一夜を過ごす事にした。
人気の無い村ではわざわざ宿屋を探して泊まる必要が無かったので白骨死体の転がっていない、血痕の無い民家に無断で上がり込んだ。
缶詰等の日持ちしそうなものを主の戻って来ない家の厨房から悪びれる事無く持ち出し食事を摂る。
払っても拭い切れない埃でざらつく食卓に缶詰からわざわざ皿によそい直した食事を八戒が並べる。
持ち主が取り戻しに来るつもりがあるのならばそれは勿論窃盗であろうが二度と此の村に戻って来るつもりがないのであれば遺失物取得に該当するのだろうかとぼんやり考えたが本当の処そんな事はどうでも良かった。
無数の死体、或いは嘗て死体であった白骨しか残っていない村で唯一食事を必要とする者としての義務であるかのように味気ない缶詰を悟空はそれでも勢い込んで平らげた。
言葉少なに空腹を満たす為だけと言った体で貪るように食い物にかぶり付く悟空に八戒がこれも何処かの戸棚から発見した甘ったるいシロップ漬けの缶詰の蜜柑を勧めながら蜜柑の缶詰の作り方を説明する。
「これは人が手で一つ一つ剥いているんじゃなくて皮だけ溶かす特殊な薬品に漬けるんです」
「えっ。じゃあこの汁ってその薬なの?」
「違いますよ」
「つーかそんなもん喰って平気なのかね」
「勿論人体に害の無い薬品ですよ」
気持ち悪そうに言う悟浄に八戒がさらりと笑って答えるのを聞くとはなしに聞く。
薬品の中にとろりと溶け出して失せた果物の薄皮と同じように此の村は初めから存在さえしていなかったかの如く風化し消滅して行く。
無くしたいと言う人間の意思と力の作用に依って消え失せた薄皮と人間が存在しなくなった事に依って消え失せて行く村と。
作用の方向はまるきり逆なのに結果は同じ事になるのだとうっすら考えながら戸棚から八戒が見付け持ち出して来た銀色の匙でかちかちと自分の為に用意された喰うつもりの無い硝子の器の中身を幾度かつつき回した後器を悟空の前に押し遣った。
人の住まなくなって久しい家屋は黄塵にまみれており家と同じく埃を被った寝台に寝間着で横たわる気にはなれず着の身着の侭寝(やす)む事にした。
視線の先の蜘蛛の巣さえ埃で白くなっており──つまり蜘蛛ですら造った巣を捨てて行く程此処には最早獲物が棲んでいないと言う事だ──埃くさい、
長い間陽に当てられた事のない布団に閉口した悟浄が愚かにもぱたぱたと大袈裟にそれを叩いた為部屋中に白塵が舞い上がりシャレにならない事態に陥った後仕方なしに埃を払う事は諦めその侭横になってはみたものの矢張り鼻につく埃の匂いが気になって眠れないでいると
「眠れないの?」と言って隣の寝台で横になっていた悟浄が笑い掛けて来た。
返事をせずにいると悟浄はベッドの上に起き上がり「俺も眠れねえのよ」と告げた。
先に自分の弱みを見せて相手を油断させてから懐柔するのがこいつの手管だと、必要も無いのにわざと意地悪く思う。
「静か過ぎてさ」
尚も俺からの返事が無い事を気にした風も無く悟浄はベッドの端に片足だけ乗せ立てた膝の上に両掌を置き背中を丸める。
「以前砂漠で野宿した時もすっげえ静かだったけどアレは大気の音が痛いっつう感じでこーゆーのとは違ってたなあ」
「・・・てめえにそんな表現が出来るとは知らなかったな」
溜息を一つ吐いて身を起こす。
「ひでえの。おサルちゃんとは違うって」
そう言って何が面白いのかに、と笑うと悟浄は寝台を降りてこちらに歩み寄って来た。
カーテンを開け放った侭にしていても他人の視線を感じる事の無い死に絶えた村の廃屋の中で壁にぴったりと隙間無く置かれている寝台の上、
壁に背中を預けて座る悟浄に跨る形でその昂ぶりを正面から呑み込まされた。
下着とジーンズだけ取り払い法衣を羽織った姿で。
ガキの頃から肌身離さず持っている銃は怪異が収まった後でもいつも通り法衣の袂に収まっている、
つまりこいつが何と言っても拒む気だったら鉛玉を喰らわせてやりさえすれば良かった。こうしているのは俺自身の意思だ。
自らの重みでいつもより深く入って来るそれの存在を否が応でも体内で感じるが悟浄は軽く掻き混ぜるように揺さぶって来るばかりで決定的な刺激は与えられない。
自分の腹と悟浄の腹の間で揺れる自分自身のそれすら中途半端な状態でこの侭だと何時迄立っても達する事は出来そうに無かった。
こんな半端な情事ならとっとと終えて眠ってしまった方がマシだ、そう思うのに「止めろ」と言う言葉を吐く気にはならなかった。
ざらついた大きな掌が太股の上をぞわりと這い上がりたくし上げられたアンダーシャツの下の胸の尖りを温かい舌がしつこい程に舐め回す。
「ん・・・っ」
自分が悟浄自身を締め付けるのが分かったがびくりと跳ね上がった拍子にそれが抜け出そうになる。
くすくすと小さく笑いながら悟浄が俺の腰を掴んで力強く引き戻すと聞くに堪えない淫らな音を立ててそれまで以上に奥深くに悟浄のそれが収まった。
野宿の時ならば空気の流れる音や川の水が時折撥ねる音、或いは虫の鳴き声や木の葉が風に掠れる音が聞こえて来るものだが此処は自分達以外の気配も、
自分達の立てる以外の物音は一つも聞こえて来ない。
静謐と言える清浄な空気では無く単に廃棄され生物の存在しなくなった静けさの中絡み合う生々しい音がやけに大きく響く。
「あ・・・っ、い・・・」
「イイの?イヤなの?」
意味の無い言葉を発しながら頸を打ち振ると面白そうに悟浄が口を開いた。
「よか、ねえよ・・・っ」
「あれ?そうなの?」
笑いながら言葉を重ねる悟浄に緩く腰を揺さぶられると自らの躯を支えていた腰が頽れてぐ、と悟浄自身を一層深く呑み込んでしまう。
「あ、ああ・・・」
何時迄この侭行為を終える事無く嬲られるように弄ばれていなければならないのだろうかと思った時漸く悟浄が動いた。
先程迄の生殺しのような刺激とは違う、自分の快楽を呼び起こす箇所を狙い突き上げてくる固く熱い楔に自分の体を支えていられなくなり悟浄の股ぐらの上に座り込みそうになるのを腰を掴んで引き上げられる。
性器の先がぬるりと露を零し始め悟浄の腹を擦る。
死んだ村の既に人肉の腐臭さえ喪失した死を湛える空気の中何も産み出す事無く無駄に零れ落ちて行く精液。
どんどん躯が熱くなり何も考えられなくなる頃、同時に達した。
熱が引いて来るにつれ沸いていた脳も冷静さを取り戻して来る。
脱力しきって悟浄に凭れ掛かるようにしていた躯を離してみれば互いの服に自分の放ったモノが飛び散っていた。
悟浄のヤツも俺の中、に放ってしまっていた。
宿屋でもあるまいし部屋に風呂と洗面が備え付けてある訳では無い。
一度部屋の外へ出なくては辿り着けない風呂と洗面所、其処へ行って八戒と悟空に見付からないように隠れて事の始末をしなくてはならないのだ。
そんな風にこそこそしなくてはならない事を思うとムカついていっそ風呂は諦めようかと一瞬考えるが、
何らかのアクシデントで明日街に辿り着けなかった場合舐め回された跡と悟浄の残滓がずっとその侭になると思い直す。
なるべく音を立てないようそっと廊下を通って一つしかない洗面所へ行き、汚れた衣服をごしごしと水で洗ってから風呂を使った。
何処でも良いと適当に選び出した民家だったが勿論その時は風呂場や洗面所の数も場所も考慮していなかった。
改めて宿屋と言うものの有り難さを思った(4人部屋の時は別だ)。
夜中に盛大に水音を立てて八戒達に勘ぐられるのもイヤだったし水が出るとは言っても流石に湯は出ないので手桶に水を汲んで躯を流すだけだったが。
万が一八戒と悟空のどちらかが物音を聞き付けてやって来た場合、風呂はともかくこの法衣の始末はどう説明するつもりだと。
あまりにも愚かな自分に眩暈がしてくる。
エロ河童の腕が伸びて来た時からそれ位の事は考えておけば良さそうなものなのに。
拒めば良かったのに。悟浄の躯を引き離せば良かったのに。
何故拒まないのだと。
薔薇の花のような赤い印が幾つも散った躯に忌々しい思いで再度水を被せた。