ハミングバード
打ち合わせの席ではペンを右手で弄んでいたが腕時計が右腕に光っていたから左利きだろうと思ってた。
「・・・あれ?右利き?」
「両利きだ」
差し向かいで答えるその人を半ば強引に道端からかっ攫うようにして連れ込んだ行き付けの店。
駅からさほど遠くはないものの駅方向からその店に向かうには灯りの少ない細い通りを一本通り抜けなくてはならない。
言葉少なに店に辿り着き暖簾を掻き分け蒸気でむっとしている狭い通路を遠慮なく奥まで進み4人掛けの席に腰を下ろす。
手を掛けた内装と言う訳ではなく何処にでもあるような造りの何処にでもあるような気合いの入ってないテーブルと椅子。
団体で予約したら大して美味くもない刺身の盛り合わせがセットメニューにほぼ強制的に付いてくる無個性なチェーン店の居酒屋のように味など期待出来そうもない店に見える。
「ビール、銘柄こだわりある人?」
「・・・いや」
警戒するかのように固い表情をしたその人はメニューを見せても何を頼むでも無かったので取り敢えずビールと何品かのツマミを適当に見繕って頼む。
運ばれて来た一見無骨な串揚げも大きく見えるのは衣を無闇にぶ厚くしてカサを増しているのではなく中に入っているのは主に厚切りの玉葱で、
間に挟まっている肉は固くなる事無くほこほこに柔らかく揚げてある。
「さ、どうぞ」
勧めて先ず自分からかぶりついてみせると仕方なさげに向かいの席のその人も串を口に運び『美味い』と口にこそしなかったが表情が緩んだのでほっとする。
包丁を入れる前の太巻き位の大きさの出汁巻き卵も一人で食うにはちょっと、いや大分でか過ぎるが二人でだったら調度良い。
おふくろの味と言う程暖かい味ではないのだが一見普通の飲み屋のように見えて結構野菜の量が多い、
大雑把で不器用なおふくろが作る料理の味とでも言うか。繊細過ぎず心暖かくなり過ぎずと言うこの店の料理が俺は割と気に入っていた。
「お待たせしました」
笑顔の可愛いアルバイトが表面がぼこぼこした青磁の平たい皿に盛られた卵をテーブルに置く。
卵の上に載っているのは紅葉おろしではなくて摺り大根、そして実は中に明太子が入っている。
取り箸は無いので自分の箸をひっくり返して真ん中辺りでちょっきり切り分けて自分の分を取り皿に載せる。
串揚げを持ったのは左手だったが遅れてその人が出汁巻き卵に手を出した箸は右手に握られていた。
成程人は見ているだけでは分からないものなのだと思う。
例えばこの人。今俺の向かいでビールジョッキを干している金髪さん。
初めて会った時は『お人形さんみたいだ』と思ってた。何の感情も無く表情も変える事の無いキレイなだけの生き物。
周りで起きている事に一つも関心の無さそうな、ぴかぴかのショウケースで外界と隔絶されて美しく飾られた侭死んでるみたいな雰囲気がとても厭だった。
死んでるヤツは間違ってもこんな豪快にジョッキを空けはしないから店に入って30分も経たないうちに自分の思い込みがどれだけ間違っていたのか俺は充分思い知らされた。
今にして思えばロクに話をした訳でもないのによくも第一印象だけでそれだけ思い込めたものだと思う。
いや、勿論今だってこの人の事を充分見知った訳では無いから本当の処どんな人なのかはちっとも分かっちゃいないのだが。
「あんた姿勢良いけど剣道でもやってたの?」
「いいや」
あんた呼ばわりする程親しい訳では無いがもうこの際だと思いきり砕けて話し掛けてしまう。
テーブルに片肘ついて半ば卓上に覆い被さる姿勢で問えば、アルコールが入っているにも関わらず未だ崩れる事のない伸びた背筋の侭即答された。
「ふうん。社の須永が剣道の段持ちでいつも背中がまっすぐ伸びてるからあんたも何かスポーツやってるのかと思ったんだけど、
あ、以前おたくの会社に一緒に行ったのが須永なんだけど覚えてる?」
「ああ」
「その須永が家庭菜園に凝ってて、ホラ、農家の人が土地を貸してくれるヤツ。
あれ今流行りみたいだよな。土日に土いじりしてて、今年の夏は畑で取れた茄子貰ったんだ。
俺料理しない人だからどうしようかなーって思ったんだけど、
思い切って生の侭かぶりついてみたの。茄子は生で食うもんじゃないね」
そう言うと三蔵は小さく吹き出した。
「信じらんねえ・・・」
声をたてて笑いこそしなかったが紫色の瞳に笑いを滲ませて。
「いやだってさ、トマトだってレタスだって生で喰えるじゃん?イケルと思ったんだよね」
ホラ、と鶏肉の照り焼きの下に敷いてあった青々しいレタスを箸で摘み上げて見せる。
「美味くなかったろうが」
「まーねー。どうやって喰うの」
摘んだレタスを口に運びながら尋ねる。
三蔵はと言うと串揚げの横に並んでいた山盛りの千切りキャベツを何もかけない侭もそもそと摘んでいる。ウサギかあんたは。
「半分に割ってフライパンで焼け」
「フライパンないもん」
「フライパンもねえのか」
呆れたように言われたが見た目と違い意外とぞんざいな喋りだ。取り敢えず料理をするらしい事は分かったが。
「包丁位はあるんだろうな」
「あ、うん」
「輪切りにして塩揉みすれば良い」
「ああ、そっか・・・あと3ヶ月早く聞いておきたかったかも」
「そんなもん会社のヤツに聞け。生で喰う前に」
そう言ってその人は陽気なコマドリが羽を震わせるようにくつくつと小刻みに肩を揺すった。
最早人間の皮を被ったニセモノの人間ではないその姿に、この人の事をもっと知りたいと思った。