紅花
社用で偶々立ち寄った駅の直ぐ近く。
行きは駅を出てすぐ信号を渡り反対側の道路沿いに歩いて行ったのだが帰りは目的地のビルを出て道路沿いを歩きながら途中の信号を駅側へと渡った。
排ガスに負ける事無く未だ立ち枯れていない年期の入った街路樹の根本。 放置されてどれ位経つのか分からない薄汚れた自転車。 その両者の間に溶け込むように立つ、実体さえ朧な姿。
つい脚を止め見入るとその子供は顔を上げ話し掛けて来た。

コンニチハ。
「こんな処で何をしている」
その姿が道行く他の者には見えていないのだろうと言う事は何となく分かった。 幼少の頃はこういった類のものが見える事は無かったのだが居住を寺に移したのを機に(だと思う) 見えるようになった良く判らないモノ達。
『あり得ない』形状をしているもの、身体が透けて見えるもの、人間だったらそんな処にいたら不自然だろ、 と言う場所に居るものは『こちら』側のモノでは無いから他の者には見えないのだと数年を掛けて自分なりに判断した。 せざるを得なかった。
自分では視界を遮断する事は出来ずどんな時でも不意に視えてしまう此の世に在らざるモノ。
調度、今此の時のように。
相手の声は肉声でなくとも自分に届くのに自分の声は実際に発さない事には相手に届かないのは不公平だと思う。 否、声を届ける方法はあるのかも知れないが自分は肉声でしか意思疎通を図る方法を知らないだけだ。
声を掛けられても何でもかんでも返事している訳ではなく場合によっては断固無視する事もある。 だがこの子供には特に悪い気配は感じなかったのでなるべく小さな声で呟き返す。
オ母サンヲ待ッテイルノ。ココデ、待ッテロッテ言ッタカラ。
今時の子供の服装とその子供のそれとが明らかに違うのは一目で分かった。
ダケド未ダ迎エニ来テクレナイノ。
狭い世界の中の絶対者である親が此処で待っていろと言いつけるのに素直に従い、それきり迎えに来ると言った筈の親は迎えに来ない。 その言葉の意味する事は一つだ。それを知っているのか気が付かない振りをしているのか。 未だ待っているのだと告げるその声。
然し子供がこんな処で一人ぽつんと突っ立っていたのなら誰かしらが見付けどうにかした筈だ。 死ぬ迄此処に居た訳では無いだろう。
つまり、これは残留思念だ。
・・・ズット、待ッテルノニ。
不安げに縮こまるその姿に待っていてもお前自身はおろかお前の親も疾うに死んでいる筈だと言うべきか、お前は誰かに拾われた筈だからこんな処に精神(こころ) を残して置く事はないのだと言うべきか逡巡した。
告げてどうするのか。
祓うつもりか。
確かに寺で育ちはしたものの仏法僧でも無いクセにいっぱしの気になって。そう自問した時うっすら思い出した。
仏法僧は祓いはしないものだと、嘗て朱泱が述べていた筈だ。 確か、自分では祓えないから・・・その後どうすると言っていた?
結局自分の人に視えないものが視える此の現象は今現在どうにもなっていないのだから、何もしなかった・・・のだろうか?
一瞬何かが像を結びかけるが形になる前に霧散する。 何か不快な感情が沸き起こるがそれが思い出せない事実に起因するのかそれともその思い出せない事柄に起因するのかさえはっきりせず苛つく。 それでも尚記憶には靄が掛かっているようで思い出せない。





「何か落とし物ですか?」
突然後ろから話し掛けられ慌てて振り返る。 道行く車のヘッドライトに照らし出されるその派手派手しい赤い髪の男はまるで自分と待ち合わせをしていたかのように軽い笑みを浮かべている。
待ッテ・・・待って、いた・・・?
そんな、筈は無い。
何時の間にか子供の思念に引きずられていたらしい。
「どしたんですか?こんな処で」
重ねて声を掛けられてその長身の男が見知った人間である事を思い出した。
少しぼんやりしていた所為だろう、気が付いたら自分の住んでいる処を教えていた。 たかが顔見知り程度の人間にそんな事を口走ってしまっている自分に慌てて立ち去ろうとし、その前に再度先程の子供にちらと目を遣る。
待ッテタ人ガ、来タンダ。
待ってなんかいねえ!
咄嗟に言い返しそうになるが、視界の端に映る赤い色に目の前の男の存在を思い出し止まった。
付き合ってられるか。
とっととこの場を立ち去るに限る、そう判断して歩き出す。と。

待ッテ、待ッテ!

頭が痛くなる程の甲高い声音と共に銀杏の葉が盛大に降り注いで来た。 生憎だが銀杏の葉の乱舞なんざ見慣れているのでこれしきの事で気を引かれたりはしない。
が、強制的に枝から離された事を惜しむかのようにくるくると踊るように舞い散りながら降りしきる黄金色の葉の合間から赤い髪の男がぽかんと口を開いてこちらを見ているのが視界に入った。

この現象を自分と結び付けて考える筈が無いとか何か言われても無視すれば良いだけだとか冷静に考える間も無かった。 何しろ身内以外の人間にこんな処を見られたのは初めてだったから。

慌てて制止した。



「凄い風だったな・・・」
今のは何だったのだと尋ねる事なく風など吹いていなかったにも関わらず風が吹いていたのだとその場を取り繕うその言葉に眉を顰める。 稀に自分と同じ、目に見える筈の無いモノを視界に留めている人物を見掛ける事がある。 もしかしてこいつもそうなのかと凝っと見る。そう言えばしきりに自分が「何を」見ているのか気にしていたようだったが。 それ以上先程の事に触れる事無く一緒に飯を食おうと誘って来るその男に警戒しつつも結局後を付いて行く事にした。 薄暗い路地に入って行っても見失いようもない長身と赤い髪の色。 闇の中でそこだけ仄と浮き上がって見えるような昏い炎の色に引き寄せられるかのように。


酷く曖昧な感情を抱えていた。
自分に見えているモノは自分にとってはそこに『在る』ものなのに多くの他人には同じものが見える事は無い。 『無い』ものを自分一人が勝手に見ているのだったら実際の処其処には何も無いのではないかと。 何であれば見えている振りをしていても良いのか何であれば見えていない振りをしなくてはならないのかぼやけた境界線に囲まれ常に灰色に沈む陰鬱な風景が自分の居る場所だった。
時として本当は自分の頭がおかしくて全ては妄想なのでは無いかと思う事もある。 だが矢張りそう言う訳でもないのだろう。先程、自分だけでなく目の前の男だって故なく舞い散る落ち葉を目の当たりにしたのだから。


内心の声が聞こえたかのように先を歩いていた男が不意に立ち止まり振り返る。

滲む視界の中灰色に塗り潰される事の無い花のような赤い色に、瞬きをしながらゆっくり視線を上げた。




100題「熱帯魚」の続き。

べにばなではなく「べにはな」と読んで下さいとある洋食屋さんの名前。
この時点で悟浄さんは結構三蔵の事意識してるのに三蔵は自分の事で一杯で悟浄さんはアウトオブ眼中。これからこれから。

三蔵のこの色々なモノが見えてしまう、と言うのは100題「666」参照。

ハミングバードに続く。

novel−パラレル