あめの街夜の花 3
赤い髪の兄ちゃんを殴り付けた後、
江流はと言うと勢い良く踵を返して居間を出て行き足音高く廊下を歩いた後は突き当たりにある自室の扉を、
寺では見た事もなかったような乱暴な仕草でとてつもない騒音を立てて閉めた。
扉が閉まっていても室内をイメージすると何時の間にか俺の身体はそこに在る。
扉を通り抜けている訳ではないらしいが便利なもんだ。
寝台の上で背中を丸めている江流は、俺が入って来た事に気が付いただろうが敢えて起き上がる事はしなかった。
壁の方に顔を向けて折り曲げた腕でシーツを握り締めている。
眠っているような体勢だが眠ってなどいない事は分かっていた。
「泣くなよ」
そう言って頭に手を当ててやると途端にふくれっ面をして起き上がった。
「誰が泣くか」
「そうかあ?お前は昔っから他の坊主共に絡まれた時でもこんな風にケツ捲って逃げ出した事なんか無かったじゃねーか。
ちっこいナリして、大勢に囲まれても助けてくれなんて言わなくてさ」
そもそもガキの頃からどれだけ生まれの事を悪く言われても我関せずとばかりに涼しい顔をしていた江流がムキになって喧嘩を買うのは、
師である光明三蔵法師の事を悪し様に言われた時だけだった。
更に言うならば自分の生まれを卑しまれた時でさえ江流がこんな風に身を縮こまらせる姿など、一度も見た事が無かった。
「俺は逃げ出してなんか・・・っ!」
言い募りかけて語尾が小さく消えて行く。
俺の中では江流は何時まで経ってもちっこい子供の侭だったが、知らぬ間に江流はあの小さな子供では、
光明様だけをひたすらに慕っていた子供ではなくなっていたのだと分かった。
出来れば、生きている時に知っておきたかったのだが。
光明三蔵法師の拾って来た子供だからと言うだけではなく江流の事はいつも気に掛けていた。
タチの悪い坊主共には生意気だと誹られた小利口そうな口の利き方、
修羅のようだとも言われた他を圧倒する眼差し。
子供特有のほっそりしたしなやかな立ち姿にさえ何とも言えぬ存在感が在って、
江流が「三蔵」を継いだと知った時でも驚きこそしたが「こんなガキを三蔵になど」と侮る気持ちは露程も起こらなかった。
その、江流の選んだ相手がどうして選りに選ってアレなのだ、と思う。
あの、いつもへらへら笑ってる片眼鏡の男の上品な立ち居振る舞いなど江流の側にいるのに相応しいだろうに、とか。
・・・まあ俺が今更何を言っても選ぶのは江流自身なんだから仕方あるまい。
「・・・朱泱。アンタ一体何をやってんだ」
「見て分かるだろ。罠だ、罠」
水を張ったバケツを扉の上に挟んで固定して、扉を開けると水が降りかかると言う原始的な仕掛けを俺はセッティングしようとしていた。
「・・・そんなでけえモン仕込んだら幾らアイツでも気付くだろうが」
だが江流を泣かせた報いにはバケツくらい喰らわせてやらないと俺の気が済まないのだ。
矢張りバケツには引っかからないかと折角用意したバケツに未練を残し横目で眺める俺に背中を向けながら江流はさらっと続けた。
「もっと小せえモンにしとけ。枕に画鋲仕込むとか。布団の中にガマ蛙入れておくとか」
「江流お前・・・(汗)」
ドアを叩く音が聞こえたのは家主二人が留守の時だった。
「沙さーん、橙猫宅急便でーす」
「ハーイハイハイ」
普通の荷物だとムリだが霊界宅急便なら俺でも受け取れる。
「ではここに受領印をお願いします」
「・・・っと、拇印で良いか?」
「結構です」
その返事に緑色のキャップを目深に被り猫印のワッペンを胸に付けたオレンジ色の作業服と言う蜜柑そのものの色合いの橙猫の配達人から受領書を受け取る。
ぐりぐり。(←親指を押し付ける音)
「有難うございましたー」
「ご苦労さん」
受け取ったそれは小箱ながらもずしりと重く。中身は砂糖か缶詰か米かさもなければ酒だと思われた。
「ん?」
江流への付け届けではなくあの赤毛への配達物と言う事で送り状を見てみると差出人欄には懐かしい筆跡でこう書いてあった。
『光明三蔵』
どうせあの人の事だ、「江流を宜しくお願いします」だとか言う処だろう。
あんな、江流の話もロクに聞かないようなヤツになど丁寧に挨拶する必要もないだろうに本当にあの方は人が好い。