ringfinger
本当は未だ起きたくない、然しもう起きなくては、でも少しぐらい遅れたって、 と悶々と葛藤を繰り返しながらベッドの上で三蔵が眠い眼をごし、と擦った時思いがけない違和感があった。
「・・・・・・・・・なんだこりゃ」
大して良くない視力だが寝起きと言う事もあり増々まともに効いていない。
外さない侭寝たんだったか・・・?
眼を細めて中指に嵌っている指輪を数秒眺めるが、次の瞬間三蔵は温かい寝床から無理矢理身体を引き剥がす。 ぼんやりと洗面所に歩いて行き顔を洗う時に指輪を外し、洗面台の片隅にそれを置き忘れた侭三蔵は部屋に戻る。 先程まで嵌めていた指輪の事を思い出す事もなく碌に自分の指先を見る事もなく三蔵は黙々と、 イヤイヤながらも着替えを済ませる。きちんと畳んである経文を伸ばして双肩に掛ける、 その時には洗面台に指輪を置いた侭の筈なのに身支度がきちんと済んでいる事の矛盾にも気付く事なく先に嵌めていた指輪の事は忘れていた。







大寺院ともなればその運営にもそれなりに、相当の金子が必要だ。
三蔵が着院して以来、旅に出ていた間を除き毎年開催されていた「玄奘三蔵法師ご生誕祝賀法会」 (尤も、三蔵が長安にいない間も「玄奘三蔵法師帰還祈念法会」と称し開催されていたそうだ)の再開は成功裡に終わった。
三蔵が旅から戻って後に開催された法会の時のような妖怪の襲撃に中断される事も無かった。 講堂内から街人が退出を終えるのに警護の任に当たっていた者達が緊張を解いて安堵の息を漏らす。 遅れて、妖怪の気配が無い事を確認した三蔵が肩の力を抜いた。
喜捨の他に護符やお守りなどの物品の売り上げも仲々のもので、法会が終わったと言っても経理の者はこれからが忙しい。 その、一部の者が忙しく立ち働いている中、漸くここ数日の騒然とした雰囲気が無くなり寺院は落ち着きを取り戻し始めた。
法会開催の為の打ち合わせの他、実戦経験者として警備の打ち合わせにも逐一参加していた為三蔵は疲労していた。 寺に莫大な喜捨をもたらす街の有力者との個人的な面会までの僅かな時間、椅子の背中に体重を預け、 普段であれば茶を飲まずとも3つは一気喰い出来る老舗の薄皮饅頭の表皮が乾き始めても手を伸ばす事もせず卓上の茶が冷めるのを待っている時、 私室の扉の外から呼び掛ける声がした。
「三蔵様」







「三蔵、指輪どうしたの?」
「ああ?」
典座の者が「上手く浸かりましたから」 と持たせてくれた紫蘇で漬けた大根の輪切りを器によそい付けている時唐突に悟浄が訊ねるのに三蔵は不審そうな返事を返す。
「ほら、俺があげたヤツ」
「・・・・・・あ?」
重ねて訊ねられ、漸く三蔵は今朝方自分の指に治まっていた銀色の指輪の事を思い出す。 と言うか、思い出したのは眼が覚めた時に指に嵌っていたと言う事実だけであり、 それがどんなデザインであったかすら丸きり記憶に残ってはいなかった。 三蔵法師の正装セットの一環の指輪だと思い込んでいたのでそれがよもや飾り一つないシンプルなデザインのそれでなかったと言う事すら今この時迄気付いていなかった。
「・・・・・・」
自分は騙されているのではないか、と三蔵は疑い、悟浄を無言で凝視する。
自分が指輪なんぞ受け取って喜ぶとも、ましてや大切なモノであるかのように指に嵌めた侭寝るなんてあり得ない。
「ほら、寝る前にさ、誕生日プレゼントって渡した・・・」
「・・・・・・」
「あんたその侭指に嵌めてくれたの・・・眠かったから覚えてねえ?」
「いや・・・」
勿論悟浄だって、三蔵がどういう訳だか自身の誕生日と言うものを好いてはおらず、 ましてや祝ってもらう事などちっとも嬉しがったりしない事は知っている。
それでも一緒に暮らすようになって初めての誕生日だし、 記念のようなモノだと駄目モトで用意しておいたソレを風呂上がりの三蔵に渡した時、 既に夢うつつだったらしい三蔵が何と勘違いしたものか口に入れそうになるのを見て慌てて取り上げたのは悟浄だし、 眠っている三蔵の指にそれをこっそり嵌めたのも悟浄だった。
そして、洗面台の片隅に置き去りにされ、 数時間前まで嵌めていた筈の三蔵の温もりも消え失せて冷たくなっているそれを発見したのも、勿論悟浄だった。
やっぱり覚えてなかったか、と自虐混じりの苦笑と共に人差し指と中指で摘み上げ暫し眺めた後、 自分のジーンズの尻ポケットにしまい込んだのも悟浄だった。
試すように指輪を嵌めていないのは何故か、と訊ねたのはほんの少しの意地悪な気持ちからだった。 だから三蔵の返事を意外なもののように思いながら、早いトコ返してやった方が良いか、 然し「三蔵が自分で指に嵌めた」と言っても否定しなかったと言う事は本当は覚えてないのを無理に話を合わせてるだけなんじゃねえの、 とも疑っていた。
三蔵が自分から指輪が見付からないと言い出すまで、 自分が持っていると教えてやらないでいようかと思ったのも、ほんの悪戯な気持ちからだった。
果たして悟浄の読みは正しかった訳だが、洗面所に置きっ放しになってたと教える代わりに悟浄はわざと口にする。
「あーゆーごついシルバーリングで紫の石が似合うデザインって珍しいだろ?」
「・・・・・・そうなのか」
生返事をしながら三蔵は今朝方眠い瞳で見たような見なかったような気のするそれの形状を思い出そうとする。
シルバーで、紫色の石付き。
その言葉を記憶に留め、メシを食い終わったら急いで探さなくてはと三蔵は密かに考える。
もはや今更贈られた事実すら覚えていないなどとは言い出せなかった。
自分が誕生日プレゼントなど素直に受け取るとは信じられないが、 少し照れたようにはにかみながら悟浄が笑うのを見てしまえば、 その一連を覚えていないのだとは如何に三蔵と雖もとても言い出せるものではなかった。

続く

33題「経文」の続き。

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