夏天猶熱 2
「・・・っあのクソ坊主!」
結局、東方随一の大寺院である慶雲院のメンツを潰す訳にも、桃源郷の至宝の存在である三蔵法師を敢えて危機に晒す訳にもいかず、 あの後、寺の坊主に宥められる侭にあのいけすかない最高僧様のおっしゃる通りの条件で警護の任を仰せつかる事になった。
てめえが艱難辛苦の末に天竺に行って戻って来たからと言って、妖怪との実戦経験のない事を鼻で笑われた事が屈辱だった。
ひいては、この長安から離れた事もなく、勿論遙か天竺まで出掛ける事もなく、 街のゴロツキをのしてしょっぴく事の繰り返しで今の地位に上り詰めた自分をも揶揄されているかのようで酷く腹が立った。

然し、その腹立ちを抑えて条件を承諾したのは俺だった。
聞かされてしまった以上はコトが起きた場合、「軍部に警備を依頼したが断られた」とぺらぺらと口外されかねない。 呼び出された時から既に俺に選択権は無かったと言う事だ。
ある程度纏まった数の軍の人間を動かすには、事前の書類提出が必要だった。 法会まで一週間を切っての急な依頼に「至急」「重要」「部外秘」の朱判をべたべたと押して「超特急で頼む」と、 関係各所にぺこぺこ頭を下げて頼み込む必要があるだなんて、あの最高僧は知りもしないだろう。
「何で俺があんなヤツの為に」
そう思いはしても「お役所仕事で動員が間に合わなかった」と思われるのもシャクに触る。 いや、実際にはそう言った場合は「そんな事の為に軍が動くか」とお役所仕事丸出しの居丈高な態度で有無を言わせず、 文句を言う隙も与えず言い捨ててそそくさと逃げ去るのが常だが、 とにかく今回は何かあった際に責任を追及されかねないので必死に書類を通した。



そんなこんなで何とか書類申請が間に合って、法会の当日、 きっちりと黄衣、つまり軍服だ、を着込んで太刀だの弓だので武装した部下を引き連れて慶雲院へ向かった。
今の時間はまだ何とか我慢出来るが、 法会の開催される時刻ともなればこんな裾のびらびらと長い暑っ苦しい軍服なんか着込んでいる自分がバカみたいに思えて来る事は分かっていたが仕方ない。 早朝に起き出した時から、 爽やかな空気に入り交じる「今日は暑くなるぞ」と言う予感とも予兆ともつかない押し寄せて来るような気配を感じていた。 天気予報なんぞを見なくとも分かる、今日は雲一つない有り難いばかりの、 或いは忌々しいばかりの晴天になるであろうと知らしめんばかりの独特の空気。
生憎、目覚めた時に感じたその予感は今の処外れてはいない。
それでも雨よりはマシなのだが。 雨と言うものは任務上傘を差す訳にもいかない俺達を嘲笑うかのように軍服と膚の間に入り込んではじっとりと軍服を膚に張り付かせ、 それだけでは足りないとばかりに容赦なく体温を奪って行く。
それでも、雨と忌々しい程の晴天と、暑くもなく寒くもない快適な日とではどれが良いかと問われたら、 勿論答えは決まっている。
不審者が侵入していないか調べる為に法会開催の2時間前に到着し、部下に寺院内の探索を命じ、 気が進まないながらも俺は手の甲で額の汗を乱暴に拭い最高僧様へのご挨拶に伺う。
先だってのように応接室で待たされる事なく、準備の為に動く事の出来ないと言う三蔵様の控えてらっしゃると言う部屋へと案内された。
結婚式前の花嫁かっつうの。
主賓は大変でいらっしゃる事、そう思いながら坊主が先に立って歩くのに無言で続く。
「三蔵様。左金吾衛李様です」
「ああ」
扉が開けられるのにも振り返る事さえしない最高僧様は、どうやらドレスアップの最中らしく、薄い襦袢を身に纏っているきりだった。 両腕を広げ、指先で袖を少し押さえて立つ最高僧の姿を周囲の坊主が検分しているサマはまるでファッションショーのようでもあって一瞬鼻白む。
「・・・リー・リンリンだったか」
襦袢の上に淡い紫色の着物を羽織らされながら呟くように言われたものが、自分の名前だと僅かに遅れて気が付く。
「残念ながら李亮涼です」
誰だよリンリンてのは。
腰に帯を当てられ身動きする事の敵わない最高僧は尚も振り返る事はない。
「秋の産まれか」
「あ、ええ。母が暑い時期が苦手で、身重の時期に夏を経て、俺が産まれた時は漸く涼しい時期になっていたとかで」
手紙などに書く中秋の時候の挨拶に、漸涼と言う言葉がある。最高僧の問いに訝しむ事なく俺は答える。 「漸く涼しくなった」から漸涼。ヒネリがない。
言いながら不意に思い出す。この最高僧には二親がないという噂話を。 「亡くなった」のではなく元より二親の顔を知らないのだと言う話だ。 本来であれば「何処の馬の骨とも知れぬ」と言われて然るべき話だが、 桃源郷に平和をもたらした最高僧ともなれば「名も知らぬ遠い国の高貴な出身なのだとか」と尾ヒレがついて触れ回られている、 何処まで本当なのだか分かりもしない酒場の、或いは市場での噂話。
「そうか」
それきり三蔵法師は口を噤んだ。着物を着せ掛けられてそれでお終いと言う訳ではないらしく、 周囲の坊主共がまだ細々とした細工物を捧げ持って周りをうろちょろしている。 やっぱり、腰入り前の花嫁の支度のようだ。
他愛のない会話で今朝方までこの三蔵法師に抱いていた気構えのようなものは妙に消え失せてしまっていた。 毒気を抜かれて何となく辺りを見回す。
「直に門を開けて民衆を堂内に案内させる。お前達の姿が目に付くと相手も警戒するから呉々も人目に付くな」
上官でもないクセに当たり前のように命令口調で話す、人の上に立つ事に慣れた人間のそれ。 命令される事に慣れた自分と、それを自覚したくない自分との間で瞬時に反発を覚えながら「分かっております」 と反射的に言い返す。
その時だった、鉄の塊が視界を掠めたのは。
支度中の三蔵法師から少し離れた卓上に無造作に放置してあるそれ。 こんな寺院に酷く不似合いな殺生の道具が其処にあると言うのに、誰も敢えてわざとであるかのようにそれに視線を当てはしない。 そちらの方を向こうともしない。
「・・・・・・?」
何故こんなものが、そう訝しく思った時、 「もう行け」と矢張りこちらをちらとも見ない侭三蔵法師が有無を言わさぬ口調で告げた。





人目に付くなと言われはしたものの、これだけ多くの民衆が溢れ返っている中で全員が一般人に見付からないと言うのは不可能に近い。 結果、柱の影だのにコソコソ隠れ得る数人以外は一般人に開放されていないエリアの守備に回る事になる。 侵入者が目を付けるとしたら当然そういった手薄そうな処だろうし、 臨時閉鎖されている通用門や寺をぐるりと囲むようにそびえている壁を見て回る事は間違いではない、確かにそうだ。
唯一開放されている大門を見張っているのは寺の坊主共だが然し、 一度民衆の中に妖怪が紛れ込んでしまえばその「民衆の前に姿を表してはいけない」 事になっている俺達に、妖怪の発見は難しくなる。そして妖怪が人間の中に姿を紛れさせる事は実は意外と難しい事ではない。 ヤツらにはその特徴的な姿形をも変化させ得る「妖力制御装置」と言う便利なものがあるからだ。
三蔵法師の御身を守る為、 と言う理由での警備ならば自分達が正装でもって辺りをうろついていれば寺は厳重に警護されているのだとアピールされ、 襲撃の可能性は低くなる。
だが、本日の法会は「三蔵様に仇なす妖怪どもを一網打尽に」との目的を以て開催されている。 襲撃を未然に防ぐ事が目的ではないのだ。 最終的に一番重点的に警備の層を厚くしなくてはならないのは、ターゲットとなる三蔵法師だ。 坊主共と三蔵法師は勿論何らかの手を打ってはいるのだろうが、それにしても万が一の事があった際は 「三蔵法師がそう命じたから」法師の身辺を守っておりませんでした、では通用しないだろう。
「さて、どう出るか」
坊主共に導かれぞろぞろと一般人が大講堂に収まると厚い扉が重々しく閉ざされた。
遅刻厳禁か。
厳しいな、そう思いながら身を隠していた大講堂の影から出て行き建物を一瞥出来る場所に移動する。 本殿ではなく、あくまで講話などに使用する為の講堂にも関わらず金文字の扁額が仰々しく掲げられ、 扉の左右には、遠過ぎて字句までは読めないが対聯が飾られている。
抱えている僧侶の数も勿論近隣の寺と比べてもダントツに多い、 それだけの僧侶を苦もなく養う事の出来る裕福な寺。 広大な寺院内を常に清潔に保つ事の出来るだけの人員を抱える事の可能な財力。 妖怪のみならず人間、例えば他寺からの恨みを買う事も実に容易いだろう。

戻る続く

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