夏天猶熱 1
街の安全を守る為に採用されたのがボランティアの自警団ではなく軍制度だったのは、
長安と言う街のだだッ広さを網羅する為だったと伝え聞く。
試行錯誤の末に軍制が敷かれて以来100年と経っていないのにその成り立ちは既に曖昧に聞かされる程度となり、
また進路としての一つの選択肢に数えられる程度には馴染んだ、まあ概ね成功したと言って良い制度だろう。
その軍の拠点が置かれたのが長安の北部地区、役所の密集しているのは北東地区、
時折建て替えの為に若干移動する事はあるが基本的に役所は北東、商店街は西北に位置している。
長安と言う都市の成り立ちの頃からそういう事になっている。
先祖代々持っていた土地が役所に通うのに便利だと言う事で何時の間にか高騰したのを、
古くなった家ともども土地を高額な代価と引き換えに手放した両親は、
だがその金を持って郊外に引っ越してからもつましく生活する事は無く、
見た事もないような大金に身の丈に合わぬ高価な買い物を繰り返し、あっと言う間に僅かばかりの財産を食い潰した。
食いっぱぐれのない軍に入隊したのは腹を減らした弟妹の為もあったが、
土地の売価を元手に商売を始める商才もない能なしの親元から早く飛び出たかった為でもあった。
無償で提供される宿舎に、福利厚生の一環の支給服や食事付きの待遇も魅力的だった。
妖怪達が暴走し始めてからは入隊希望者も随分少なくなり、
一頃のように裕福な家庭の子息のお気楽な就職先候補ですらなくなった。
実の処、兵驕隊堕とまでは言わないが地位を嵩に警邏の仕事も碌にせず、
それでも出世の約束されている、袖の下を掠め取る才にだけは長けたヤツらが随分のさばっていたものだ、あの怪異の前迄は。
大きな声では言えないが、入隊資格の第一は親類縁者からのコネだと言うのは公然の秘密と言うヤツだった。
良家の子弟は入隊当初から高い地位に就くし出世も早い。それもまた公然の秘密だった。
だがキナ臭いご時世になってからは本来であれば働かなくとも親兄弟の蓄財だけで喰っていける、
或いは実家に帰れば柔らかい布団、絹糸の着物に傅く召使い達の待っているヤツらは日に日に除隊届けを提出しては軍から消えて行った。
何と言っても命あっての物種だ。好きで就いた訳でもない仕事の為に命を懸けるのはバカげている、と言う訳だ。
然しそれは寧ろ都合が良かった。腕っぷしを鍛えて街の役に立っているとアピールして見せれば、
俺のような後ろ盾のない者でも出世するチャンスも増えたと言う事だ。
実際妖怪達がおかしくなってからは暴挙を妖怪の仕業に仕立て上げ罪を逃れようとするヤツらも増え、
遙か西方の街の出来事だと言う妖怪による住民惨殺の話に長安の民達も不安そうにその顔に翳りを見せるようになり、
暗い世情を反映するかの如くちょっとした小競り合いなどは以前に比べて格段に増えた。
そのドサクサに昇進したものの、偉い坊さんが異変を平定したとかで日を追って長安の街も平安を取り戻しつつあり、
余程でかい手柄でも立てない限りこれ以上の位につくのは難しいかも知れない、そう思っていた時だった。
当のお偉い坊さん、玄奘三蔵法師のおわします寺、慶雲院から警護の依頼が来たのは。
桃源郷の住民ならば誰もがその存在を知っている最高僧、三蔵法師。
遠く西方天竺へと危険な旅をして暴走する妖怪を平らげたと言う年若い青年が、ここ長安を拠点としている三蔵法師だった。
玄奘三蔵法師の西方からの帰還を祝賀する為の法会、と言うのがそのお題目だったが、
妖怪を平らげた、言い換えれば人間との共存の道を捨てて自分達だけの世界を築こうとした妖怪達の思惑を阻止した三蔵法師は、
長安に戻って来た今も生き残りの妖怪達に命を狙われており、今回の法会は三蔵法師をダシにして妖怪の残党を誘き出す、
そう言った狙いもあるのだと聞かされた。
ひでえ事を考え付くヤツがいたもんだ、寺の間取り図を見ながら密かにそう思う。
狙われているのが寺の宝物でもあるならばともかく、人間を、しかも桃源郷の至宝、
三蔵法師の命を囮にするなんて普通だったら思い付かないし、思い付いても実行に移したりしないだろう。
俺にしたって他人事ではない。三蔵法師が今正に妖怪の手に掛からんとする危機一髪な状況で救い出しでもすれば出世間違いなしだが、
万が一何事かがあった場合、最悪、三蔵法師にもしもの事があった場合は一兵卒からやり直しだ。
坊主達の無謀な目論見に何で俺まで巻き込まれなくてはならない。
本来であれば即刻中止を申し渡す処だが、生憎法会の告知は疾うに済んでおり、開催も目前に迫っていた。
当初から俺達軍部に報せずに立てられた計画であるならば、最後まで報せずにおいてくれれば良いものを。
「お待たせいたしました。三蔵様がいらっしゃいます」
先払いの声に机上に広げていた図面から顔を上げる。程なく姿を表した三蔵法師に、椅子から立ち上がりながらその侭の姿勢で固まった。
年若い事も、高貴なお姿をしている事も話に聞いて知っていた。
「こちらです」
目の前の席に案内され、握手でもするべきかと中途半端に差し出した俺の右手を無視して挨拶も抜きに腰を下ろしたその人を見て、
勿体ないと思った。
西へ旅したのだと聞いてはいるが、その人の出自こそ西方であるのだろうと一目で伺い知れる白い膚に明るい金色の髪。
「年若い」と言う評判も、その業界限定の「他と比べると比較的若い」と言う意味合いではなく言葉通りの意味で、
俺と幾つも年が離れてないように見えた。坊主なんかではなく踊り子だの飲み屋だの、
或いは娼館で働いていればナンバーワン間違いなしだろう。特にあの安物の薬で染め上げたものとは違う、輝かしい金糸ときたら。
尤もこの人が女であったなら、という前提だが。女であれば気位が高いのだってオトしがいがあるってもんだが男だったら話は別だ。
「三蔵様。こちら、左金吾衛の・・・」
「分かっている」
卓の横で立った侭の坊主が慌てたように紹介するのを玄奘三蔵法師は短い言葉で遮った。
「李亮涼と申します」
宙ぶらりんの手を引っ込めながらあてつけがましく自ら名乗ってやる。
その態度のでかい最高僧様の美しい容(かんばせ)に不躾な視線を当てた侭椅子に腰を下ろした。
「どの辺りまで話は聞いている」
わざわざ寺まで赴いた俺の労を労う事もなく、無駄に長ったらしいご挨拶だのの遣り取りを一切排し、
いきなり用件に入り顔を上げたその人の瞳は菫の花のような紫色だった。
本当に、女じゃないのが惜しい位だ、と予定よりも一瞬長くその濃紫を眺める。
が、仕事は仕事だ。
最高僧に倣い時候の挨拶もその地位を崇め奉る舌を噛みそうな美辞麗句も抜きに机上の図面に視線を戻すと紙の上にす、と指を走らせる。
「法会が行われるのはこの大講堂、当日は一般の者には大講堂に至るこの正面の通路、及び左右の通路のみを開放し他の通路は閉鎖すると」
確認するように顔を上げれば最高僧は無言の侭頷いた。
「そして門も、正面の大門以外は開放しない。一般僧が使用する通用門も裏門以外は臨時に閉鎖します。
勿論妖怪どもが正面きって乗り込んで来るとは思えませんので、この閉鎖した門には兵を配置します」
そこまで一息に言って、息を継ぐ。
「そしてこの大講堂内には一般人に扮した部下を」
「不要だ」
「・・・・・・。では部下の者を三蔵様の身辺に配備し」
「不要だ」
「・・・・・・」
何を言ってやがるんだこの坊主は、そう思ったが口にはせず徐に顔を上げた。
困ったように身を固くしている立った侭の坊主とは対照的に、
室内に入って来た時と少しも変わることのない表情の侭三蔵法師がこちらを見据えていた。
「・・・それは、」
何か思惑があっての事なのか、例えばこの法会の開催そのもののように、訊ねようとした言葉が三度最高僧の台詞に遮られる。
「妖怪とやりあった事は」
「いいえ」
「お前がか、お前の部下ともどもか」
「どちらもです」
「・・・長安では凶暴化した妖怪が狼藉を働いた事はなかったのか」
何処か他人事のように「長安では」と訊ねられ訝しく思うが、
すぐにそれはこの最高僧が旅に出ていた間の不在の時期の事を指しているのだと気付く。
「幸いな事に」
「そうか」
そう答えて三蔵法師は少し何かを考えるように瞳を伏せた。
「分かった。配置に関しては一任する」
「は」
「だが俺の回りには兵を置くな。無論講堂内にもだ」
「それは承諾出来ません」
「ならばこの警備依頼自体を取り下げる」
「な、」
「三蔵様!」
仕事と言っても民間企業と違い、出動した分金が貰えるとか、仕事が中止になったからと言って手当が減る訳ではない、
それが軍というものだ。だが、こんな争い事とは無縁な坊主共に「いなくたって同じ」と軽くいなされる程落ちぶれてはいない。
事前にそう言った取り決めがあった訳ではなく、三蔵法師のスタンドプレーであったらしく、
周囲の坊主が慌てて止めに入っているのがせめてもの救いだ。
その坊主達の狼狽え振りを見て少し冷静さを取り戻す。
「・・・理由をお聞かせ願えますか。三蔵様の身辺に兵を配置してはならない理由を」
「邪魔だからだ」
「・・・・・・!」
食い下がるのに、
些かの遠慮もなく端的に告げられた台詞と共に投げかけられた虫ケラでも見下ろすような冷たい紫色の瞳に背筋がひやりとする。
「実戦経験のないヤツらにうろちょろされんのは迷惑だ」
追い打ちのように言葉を重ねられるのに頬が不穏にぴくりと蠢くのが分かった。
ムシの好かない男だと思った。