踏切
その馬が死んだ事を知ったのは悟浄と年内最後の挨拶を済ませ帰宅した後だった。
有馬記念当日裏開催の9レース、三木ホースランドパークジャンプステークスなんて聞いた事も無いようなレースにその馬は出走していた。

重賞の常連ともなれば別だが重賞に出走して来ない馬の場合、関東馬なら平素競馬場に脚を運んでいるうちに平場のレースで見掛ける事もあるのだが、 関西馬で重賞に顔を出さない馬の場合熱心に次走スケジュールを追っていない限り「最近見なくなったな」と思っているうちに知らぬ間に引退していたと言う事が多々ある。
特に動向を追いかけていた訳では無かったのでその馬が障害に転向した事を知ったのは本当に偶然だった。

障害レースは海外ではスティープルチェイスともハードルレースとも呼ばれる。 スティープルチェイスの方が難易度が高いのだが日本のレースはスティープルチェイスとハードル混合型の形態となっている。
海外では障害レース専用トレーナーがいたり障害レース専用騎手がいたり障害専用の種牡馬がいたり、 平地のレースと比べると地位が低いのは日本と同じではあるがそれなりに人気と需要がある。
だが日本では平地レースで結果の出せなかった馬、或いは平地で頭打ちになった馬が障害に転向してくる。 要するにリストラだ。
障害レースで唯一のGI「中山大障害」は昭和の時代には「花の大障害」 と呼ばれ有馬記念と張る位の人気があったらしいが俺が知っているのは朝から場所取りをしなくてもゴール板前の絶好の位置で観戦出来てしまう、 有馬記念とは比する事など出来ない程閑散とした現状だけだ。 (と言っても夏場のローカル開催の地方競馬場の2倍か3倍の入場員数はあるのだが)
新天地で才能を開花させて成功する馬は滅多にいない。
大抵は転向した先の障害でも才能が花開かず勝ち上がる事も出来ない侭引退して行く。 或いはレース中の事故による骨折で予後不良として処分されるか。







「うっそ・・・」
つい十日程前に「今年最後の締め括り」有馬記念を迎えたと言うのに新年五日目には今年最初の競馬が始まる。 新年恒例中山金杯・京都金杯のその日。ワンダーファングの死を告げると悟浄は信じられないと言いたげな表情をした。
「転倒した馬に躓いたらしい」
その日、場所は違うものの競馬場に居たにも関わらずそのレースを見ていないのはメインレースでも無い他場のレースは放映されなかったからだ。 何しろグランプリ・有馬記念の日だ。一日調教VTRやジョッキーインタビューばかりが場内モニタに映し出されていた。
お祭り気分で皆が浮かれ立っていたその時に脚の骨を粉々にして死んでいった馬がいたのだ。
障害レースは体力やスピードも大切だがそれ以上に飛越の巧拙が重要となる。 手前過ぎず遠過ぎずと言う地点で踏み切って目の前の障害を飛越する。 飛越を躊躇ったり踏切のタイミングが悪いと無理な体勢で障害を飛び越す事になるので着地の際転倒する事になる。 恐らくワンダーファング自身は無事に飛越を終えたのだ。だが前を走っていた馬がバランスを崩し転倒し、 その馬に躓く形でワンダーファングも転倒した。皮肉な事に最初に転倒した馬は骨折する事さえなく無事だった。
大した皮肉だ。ワンダーファングには姉がいた。桜花賞馬のワンダーパヒューム。 ワンダーパヒュームもその後のレース中の故障で予後不良となっていた。もう5年も前の事だ。 本当なら今頃繁殖に上がり子供を産んで、彼女の子供がターフに帰って来ている頃だったが彼女が自分の血を継ぐものを残す事は無かった。
「皐月賞の時さ、ワンダーファングゲートで立ち上がっちゃったんだよな」
「ああ」
姉と同じ薄桃色に菱の模様のメンコを被ったその馬に姉の姿を重ねて見ていた者は多かったと思う。 だがファングは興奮してゲート内で立ち上がって暴れた為急遽出走取消となった。 前肢をゲートの枠に掛けて立ち上がったその姿を確かに目の前で見た。
「あの時俺ワンダーファングの馬券持ってたんだよな」
勝馬投票権の投票時間を締め切ってからの出走取消は購入した額その侭が返還されて来る。 然しその一頭を抜きにし新たな予想をして馬券を買い直す事は許されない。 結果、出走取消となった馬を軸に馬券を買っていた者の馬券はレース前にただの紙切れとなる。
苦笑すべき筈のその事が今は笑えない。
ワンダーファングが出走取消になった皐月賞で初GIを制したのはテイエムオペラオーだった。 それから一年経ちオペラオーが怒濤のGI連覇街道を歩み、仕上げとばかりに有馬記念を制したその日ワンダーファングは死んでしまった。




「悪いな。新年早々暗い話をして」
「いや・・・」
本来なら「年始めに取るぜ!万馬券」と浮かれていなくてはいけないこの日に。
くしゃりと空になった煙草のパッケージを掌の中で握り潰しながら悟浄が口を開いた。
「なあ、もう初詣行ったか?」
「・・・・・・一応した事になると思う」
特に詣でたりはしなかったが年末年始は実家の寺で過ごした。 初詣と言うのが具体的にどの程度の事柄を指すのかは判断がつきかねたが年が明けてから寺に行ったかと言う意味なら、 一応初詣は済んだ事になるのだろう。居続けたのも「行った」うちに入るのなら。
「俺初詣まだなんだ。馬頭観音にお参りしねえ?」
パドック横、赤い幟が何本も立っている馬頭観音。 レース中、或いは調教中に亡くなった馬の為に地方、中央を問わず各競馬場にそれは祀ってある。
「・・・そうだな」
恐らくは、一頭でも多くの馬が無事にレースを終えられるよう祈る為。
返事をするとスタンド内を突っ切りパドックの方へ向かい悟浄が歩き出した。
重いドアを力を込めて押し開けるとシンザン像があり、像の横を回るとパドックを見下ろせる位置に馬頭観音がある。 丁度レースの合間の時間でまだ次のレースに出走する馬はパドックには出て来ていない。
嘗て何度かワンダーファングも周回した中山のパドック。

「寒いな」
ぼそりと隣から話かけられるのを見るとそびえるように立つスタンドに当たる冬の風が行き場を無くして悟浄の赤い髪を踊らせていた。
ワンダーファングの事は恐らく今日言わなければ訊かれもしない限り二度と話題に上る事も無かったと思う。 だからだろう、言っておきたいと思ってしまったのは。 自分一人の胸中に留めておく事も出来ず口に出してしまったのは弱さであり甘えだ。
だが、この先まだ何度でも味わう事になるであろうこの痛みを、悟浄になら言っても良いような気がしたのだ。


「俺は万馬券祈願掛けるぜ」
わざとはしゃいだ口調でパドックに背を向け悟浄が柵で囲われたエリアに足を向ける。 びっしりと交互に並べられた何本もの赤と白の幟が冬の風を受けてばたばた音を立てる。
そうか、願掛けと言うのはまだしてなかったな、そう思い何を掛けようか考えながら目の前の赤い髪を視界に留める。 今年もこいつと一年競馬場で顔を合わす事になるんだろう、脳裏を掠める思考は予感か願望か。 もっと別の事を祈願しなくては、意識して思考速度を速めながら石段を登った。




冬の雀の続き。

2001.1.5の二人。ワンダーファングは飛行機雲で書いた東風Sにも出走してました。14着。
お題見た時踏切って「踏み切る」の方だと思ったんですが普通は電車の踏切を思い出すらしいですね。 同じ言葉でもこっちの方が浮かんだと言う事で障害話。

デルタに続く。

100題