「三蔵様夕餉の時間です」
「分かった」
「三蔵様湯浴みの支度が出来ました」
「うむ」
「三蔵様お着替えこちらに置いておきます」
「ああ」


クソ河童の家を出て慶雲院に居座る事3日。文字通りの上げ膳下げ膳で何もする事が無い。 のんびり出来て良いと思う反面そろそろ退屈になって来た。 こんな時にこそ三仏神の端迷惑な押しつけがましいクソ面倒くさい依頼でも入れば良いものだがそう都合良くは呼び出しが掛からない。

鍛錬の時間に参加して修行僧共に稽古を付けてやったがあまりにも手応えが無さ過ぎて却ってストレスが溜まるという結果に終わった。
あまりに閑なので別段眠かった訳では無いが寝台に横になる。
寺に居るのに暇を持て余す事など滅多になかっただけにどうやって暇を潰すかが思い浮かばない。 俺が閑そうにしていても誰も仕事を押し付けて来ようとしないのは今の俺が寺にとって「客人」だからだ。 望まざると押し掛けて来た数年前と同じく。 聖天経文の所在の手掛かりを掴みさえしたら直ぐにでも出て行くつもりだったあの時から思い掛けず長い間滞在する事になったが結局此の寺は自分の 「居るべき場所」にはならなかった。 かと言って河童のあの家が俺の帰る場所なのかと言うとそれも違うだろう。 家賃を半分払っている以上半分は俺の家なのだと言えない事も無いが実際の処こうして度々居たたまれなくなって飛び出て来てしまう。 所詮借り物の、仮の住まいだ。 だからふとした切っ掛けであの家に居場所が無いような気がしてしまうのだろう。
ごろと寝返りを打ちながら成程と思う。
時折感じる居心地の悪さの原因はそれか。
では何処だったら自分の帰るべき場所なのかと暫し考えるが、数秒の思案の後そんなものは有りはしないのだろうと結論付けた。 恐らくそんなものを持っている者の方が少ないのだ。 だからこそお師匠様も「本当の自由は還るべき場所のある事なのかも知れない」と仰っていたのだろう。
あの、金山寺の庭で。
「・・・・・・」
深く、息を吸い込む。
俺の人生の始まった場所。普通ならば家があり家族があり、 出家して仏門に入るものだが捨て子である俺の記憶は唐突に寺から始まる。 捨て子はこの桃源郷に於いて珍しいものでもないがわざわざ河に流す親は多くはないだろう。
山を降りた処に長江が流れていて、其処で俺はお師匠様に拾い上げられた。
ガキの頃お師匠様に幾度となく「長江には揚子江ワニがいるから近付いてはいけません」 と言われた為遠くから眺めるだけで河には丸きり寄り附きもしなかった。 よくよく考えてみたら河の中で泳ぎでもするのならばともかく、近寄って眺める位なら大丈夫だったのだろうが。

・・・そう言えば金山寺はどうなってるんだ?
ふとそんな事が思い浮かんだ。 西への旅の途中出会った朱泱──あの時は六道と名乗っていたが──は俺が下山した日に寺は妖怪達に襲われたと言っていたが。 呪符の力を借りたとは言え朱泱がああして生きていた以上、最悪の事態は免れていると思うが。
手前の痛みにばかり敏感で手一杯だった俺は金山寺の事を思い出してもお師匠様の最期をしか思い出した事が無かった。 何一つ割り切れてもいなかったクセに 「何物にも捕らわれず捕らわれない」の教えを免罪符として一人で全部抱え込んで、 抱え込んだつもりで朱泱の事ですら思い出そうとしなかった狭量なガキ。 手前勝手に渡した数珠を朱泱は十年もの間持ち続けていたと言うのに。
「・・・・・・」
むくりと起き上がって廊下に出た処で側付きの坊主とばったり出会した。
「あ、三蔵様。今お茶をお持ちしようとしていた処です」
「・・・そうか」
俺が何の為に廊下に出ていたかなど考える事もなかったであろう真っ直ぐな瞳に我に返り短く答え先に立って私室に戻る。
莫迦げている。一体自分は何を尋ねようとしていた?十年以上も顧みなかった金山寺の事を今更尋ねてどうするつもりだった? 三蔵様も育った寺がお懐かしいのだろうと坊主共の噂の種になりたかったのか?

苛々と茶と共に出された揚げ饅頭にかぶりつく。
「・・・三蔵様は何時お帰りになるのですか?」
側付きの坊主──彩徳が盆を抱えた侭尋ねた。 一度出て行ったクセにまたこうやって出戻って来た事を恐らく寺の奴らが色々勘繰ってはいるだろうとは思っていた。 何時迄いる気か、それとも寺に再び着院する気なのか、すると仕事の割り振りは、寺院の最高責任者の地位はどうなるのか、他色々だ。 たかが2、3日居座ってるだけでこの有様だが幸いな事に未だ上層部からの探りは入って来ない。
「さあな」
内心つまらない事を尋ねると思いながら同僚に面白半分で訊いて来いと言われたのかと傍らに立った侭の彩徳を見上げると意を決したような表情をして彩徳は口を開いた。
「賭が行われているのはご存じですか?」
「賭?」
何の、と尋ねる前にその答えが告げられる。
「三蔵様がお戻りになられるかどうかです」
「・・・・・・・・・・・・何?」
「三蔵様が市井の者に混じって、あまつさえ護衛とは雖も下賤の半妖とのお暮らしを続けられるかどうかです」
「・・・・・・ああ?」
「如何に三蔵様が我々仏門に帰依した者の常識の範疇を越えた方でいらっしゃるとはいえ曲がりなりにも最高僧のご身分で下々の暮らしに耐えられるか」
「・・・もういい」
最高僧を崇めているのか俺を貶しているのか。
「仮にもこの慶雲院で三蔵様のお側近くで生活を共にしていた悟空ならばともかくあの下品な半妖とのお暮らしにご不自由なさらないか」
「もういいと言っている」
奴が下品と言うのだけは正解だな。
「そうですかあ」
「言いたい事は分かった。ともかく俺は、そう噂されていると言う事だな」
恐らく本当の処はもっと聞くに堪えないような事をも言われているのであろうが。 ガキの頃からくだらない噂の的にされるのは慣れていたから呆れこそすれ今更怒る気もしない。
人間閑だと碌な事を思い付きはしないものだ。 とどのつまり坊主共の言うところの「下賤の者」と聖職者である坊主も大した違いは無い。 その暇潰しの為の娯楽の一つに自分が祭り上げられていると、そう言う事だ。 ただの暇潰しにしちゃあ随分と悪趣味だが。他にする事はねえのかクソ坊主ども。
「噂では無く賭けです」
妙にきっぱりと言い切られ再び饅頭に手を伸ばす。
「くだらねえな」
溜息を一つ吐いてもごもごと饅頭の残りを口に運ぶ。 「下々の暮らし」と市井での暮らしに一線を引かれる程尊いご身分じゃねえよ、と思いながら。






の続き。

還るべき場所で悟浄さんにとっての還る場所は「家」だった訳ですが三蔵様にとっては未だ還る場所はありません。 なので悟浄さんの「此処は三蔵にとって『家』ではない」の読みは鋭いですね。

流れに続く。



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